EURO 2004 in ポルトガル Day 9

Day 9
June 30, 2004

 結局眠れなかった。テレビで流れている映画が恐かったからだ。昨日もそうだった。ただのオカルトや殺しモノではなく、強迫観念や妄想に囚われて殺戮を繰り返すモノだった。昨日のは中世のそれ、今日は今のそれ。これが自由の国ポルトガルの裏なのだろうか? まだ恐怖政治への強迫観念が消え去らないのだろうか? 勝手な想像だが、この国の明るさの裏には、どの国よりも底なしの絶望やネガティヴィティがある。だから彼らの明るさは切実だし温かい。

 今日は水族館に行くことにした。小さな国だからこそ大きさに拘るポルトガルは、この水族館もヨーロッパ一の大きさを誇っている。でもこっちの水族館はイルカショーやアシカショーはないの。水槽専門、略して水洗だった。だったのだ。凄いぞ、こっちの水族館は。何しろ臭い。魚市場よりもっと臭い。自分がイワシになったかのような匂いにヤラれる。でも目の前にはマンボウと、マンボウのように肥えてマンボウのようなスピードで浮いているサメが泳いでいる。何なんだ、こっちのサメは。フカヒレは美味そうなんだがな。リスボンの水族館で実はカツオがとても速く泳ぐことや、日本の誇る世界一大きなカニ、タカアシガニ(伊豆半島西部だけにいる貴重なカニ。非常に珍しいが好き嫌いがはっきりする、濃くて大味なカニ)が18kgもあるものまでいたことを知る。それにしてもこれを読んでいる誰か、あなたは言語学を習っていませんか? 出来ればポルトガル語と日本語の相関関係を教えてくれませんか? 耳に入ってくる言葉がいちいち空耳アワーになっていて、とても変な気持ちになる。水族館でもいきなり「アオヤマカラ?」なんて聞こえてくるから誰かと思えば、ただのポルトガル人。どんどんエスカレートして、今度は「ヤスクテフクカエテル」。ウソじゃないんだって。終いには「マダボクハモラッテナイヨ」なのだ。全部振り向けば、そこにはポルト人。からかわれているようで気分がいい。

 そのまま近くで「鴨御飯」を食べる。ダックをローストして裂いた身と、ダックのエキスで炊いた御飯を合わせてもう一度オーブンで焼いて出すライス・ボウル。ジューシーな肉のエキスを一粒一粒の中に荒々しく封じ込めた野趣に満ちた御飯がたまらない。この「ポルトガル風かやく御飯」は、日本でもきっと普及すると思うのだが。でも10日も経つと、自分の味覚が殆んどこっちのものになっていて、日本との比較があてにならなくなってきていると感じる。だって、リゾットには「もっとコリアンダー入れてくれ」だし、ステーキにも「プリーズ、オイル&ビネガー」だし、魚を胃に流し込むのは水ではなくサングリアだ。そのポルト・スタイルに酔っているわけではない。酔っているというなら、もう24時間酔っている。つまりそれが「日常」だ。鴨御飯ひとつ取ってもそうだ。イワシもそうだ。こっちの料理はウサギの煮込みも含めてすべてが「野趣」だ。それが当たり前だ。何故か? 生活だからだ。食も生まれたことも、それを謳歌するためのワインも、すべてが「野趣」だからだ。生命力から生まれてくるのだ、すべてが。街中でそこいら中でみんなキスしている。かなり濃厚な、もうセックス自体と思えるような、舌と舌にすべての欲望と愛情が移り住んだようなねっとりしたキスをしている。すべてを取っ払って愛し合っているのだ。観光客もそうだ、ここへ来たら「野趣」溢れるままに愛し合うのだ。それがルールなのだ。だから僕も喰って喰って流し込んで、そして自分の「野趣」を確認するのだ。みなぎってくるぜ、全く。ニュースすら、サッカーとイラクの主権移動しか流さない。ポルトガルは今、世界のど真ん中にいることに酔っている。実際はどうかなんて関係ない。ユーロが開催されているここが世界のど真ん中であることにポルトガル自身が何の疑問も抱いていないことがすべてだ。最初は世界のど真ん中である場所を提供するだけだったかもしれない。でも今は違う。ここで開催されていることより、ここで選手と民衆が闘い続けていることが「世界のど真ん中」を作り上げている。

 大変な1日がその時に向けてカウントダウンを始めている。今日はポルトガルvsオランダ戦の日だ。今日勝ったほうが決勝戦に一番乗りなのだ。ポルトガルにとって、ここまですべてを焼き尽くす太陽が本当に上がるなんて思っていなかったようだ。はっきり言って、出来過ぎだ。しかし、この焼き尽くす太陽の光をもっと浴びていたいと思う気持ちが、今のこの国を動かすすべてのガソリンだ。だから今日の19時45分から始まる闘いは、この国のすべてなのだ。しかし。いつもの広場は凄いことになっていた。ポルトガルじゃない。オランダだ。大挙してやってきたオランダ・サポーターが、体の圧迫感にモノ言わせて広場を占拠している。燦燦と輝く太陽の下、オレンジ色の一団が、そこの温度と紫外線をのレベルを確実に30パーセントは上げている。本当にまぶしい、本当に強そうだ。妙に堂々としている。イングランドやデンマークのワルとは違う、「吠えない」感じが逆に恐い。元締め感が強いのだ。全員ボスキャラ。人数もかなりいる。ただそこに集まってビールを呑んで、そのコップやビンやカンを地面に踏み潰しながら、そこにいる。だから地面は凄いことになっている。しかし、ボス猿集団オランダ・サポーター達はゆったりとそこで盛り上がっている。そして時間が来たら、広場の端っこから人が徐々にいなくなっていった。スタジアムに行くためだ。僕も行かなくてはと思い移動を図ると―――凄いことになっていた。端っこから移動し始めたオランダ勢は、隊列を成してスタジアムまで行進を図り出したのだ。「カンピオーネ!カンピオーネ!!」と連呼しながら、ゆったりと行進を始めた。凄い数だ。凄い声だ。凄い圧力だ。激しぶことなく、行進はいつまでも続いた。でも誰にも何も言わせねえというプレッシャーがあった。威風堂々とした、デモ行進だった。

 これまた結果はわかっていることと思う。奇跡はこの日もこの国を世界一熱い国にしてしまった。というか、前回のイングランド戦で、完全にポルトガル代表は「ノってしまった」。ウォーミングアップでピッチに登場した瞬間から、全く今までとは違うパワーを出していた。意識が外に向けて100%放出されている感じ。選手同士の間にも、強く太い「糸」が見える。サポーターに「おうっ、今日もまかせとけよ」というテンションをチーム全体が出している。ヤバいチームに完全に化けてしまった。一方のオランダは、ただただ強そうだ。いつものように強そうだ。そしてダービッツ(ユベントス)の動きは変の一言だ。負けたら負けたで気にしないが、でも俺達は勝っても負けても強いんだぜみたいな、妙な余裕を振りかざしている。ダービッツの新体操ボス猿のようなウォーミングアップのオーラがそれを物語っているような。

 試合は最初から今日が「誰のゲーム」になるのかがはっきりわかるものだった。スタジアムにいるすべてのサッカー・ファンは、今日ここにいることを誇りに思ったのではないか? ルイス・フィーゴだ。あんなフィーゴのプレーを目の当たりに出来るなんて、僕は本当に幸せだった。彼のすべての技術と経験が、「前へ前へ」と鋭く切り込まれていく。完全にフィーゴは、このゲームをポルトガルのものではなく自分のものにしようとしていたのだと思う。すべての衝動はメディアからも総スカンを喰ったイングランド戦からのリベンジだろう。あの日あのプレーあの交代あの取り残された感触―――フィーゴはそれをこの試合ですべて倍返しにしようとした。異常なドリブルだった。誰もついていけないのだ。鬼気迫るフィーゴのプレイは、チームに自信と戦闘力を与えた。これだ! これがフィーゴのキャプテンシーだ。背中と2本の足だけで、すべてを動かしていくのだ。見直したよ、フィーゴ。と世界中が賞賛を惜しまない(筈の)プレーだった。やがて、フィーゴだけが切り崩していたオランダの「鍵」が少しずつ開き始める。俺も開けなきゃと思い始めたポルトガル代表の気持ちが前に出たプレーが、形成を作り始めたのだ。そして狂気のゴールが生まれた。1点目はゴール前の鍵が開いたのを見逃さないヘディングだった。2点目はもう鍵は開いているんだ、おらぁー、みんなで行こうぜ! とたたみ掛けた中で半ば「入ってしまった」ミドル・シュートだった。両方ともフィーゴは直接絡まなかったが、みんなわかっていた。彼が導いた2点であることをみんなわかっていた。マン・オブ・ザ・マッチは勿論フィーゴだ。スタジアムに鳴り響く声も彼が一番多かった。勝利の直後、歓喜に狂う中で静かに抱きしめ合うふたりの姿があった。フィーゴとルイ・コスタだ。今日は出番がなかったが、やはりルイ・コスタの求心力はこういうところで発揮される。やがてふたりが静かに称え合っているサークルに、いろいろな人が――勿論フェリペもだ――やってきた。このチームは完全にチームになった。そう、オランダが取った1点は、ポルトガルのオウン・ゴールだった。ディフェンスのアンドレーデが外に出そうとしたボールの軌道がゴールへ収まった時、1秒の激高の後、キーパーのリカルドはまずアンドレーデを鼓舞した。大丈夫だ。前を向け。前を向いてさらに守れ。―――こんな感じだったんだろうと思う。そして1点差は最後まで守られたのだった。オランダは強かった。パワーと技術のバランスは凄まじいものがあった。しかし、そこに奇跡が起こるような機運や戦術はまるでなかった。一定の法則に基づいたパワーと技術のバランスを頑なに守って最初から最後まで同じペースで試合を進めた。準々決勝も1点も入らない試合だった(PKで勝ったのだ)。ファン・ニステルローイがいて、1点も入らなかったのは大きな問題があった。だから、この試合のオランダは下馬評ほど有利ではなかった筈だ。そして実際に問題はクリアされておらず、この勝敗の結果はある意味必然だったと思う。しかし、今のポルトガルに必然など必要ない。勝つことで得られる明日への光が、彼らの裏にある、いや、根本にある「闇」を被い尽くしてくれるだけでいいのだ。

 素晴らしい勝利が確実にポルトガルを復興させているのが、ここにいて実感出来る。何しろ勝ち方がいい。PK戦の後での快勝だ。そして相手がいい。イングランドとオランダは気持ちも戦術も前へ前への姿勢を明確にするチームだ。そういう潔く闘いに臨むチームに勝ち続けることは、国民感情として、人間としてとても大切なものを得られる。スペイン戦もそうだった。最も勇敢な気持ちを得られる勝ち方をポルトガルはしてきている。本当に良かった。サッカーが国を変えるのだ。サッカーは国を変えられるのだ。信じらんねー、でも凄いことだ。

 オランダがデモ行進を続けた道は、帰りはポルトガルの旗とマフラータオルが被い尽くした。イングランド戦以上の狂気があらゆる場所を彩っている。もう車のシートには人が座っていない。ハコ乗りか、屋根乗りだ。国もそれを容認している。だって、バスの屋根でも人が踊り叫んでるのに、平気で走るんだぜ。何でもオッケーだ。なにがし皇帝の像とか、歴史的なモニュメントは、ただ旗を掲げるためだけにあるポイントだ。みんな登る。原宿で言うところのラフォーレ前の交差点。あれに近いスポット、そこから半径1kmは、規制もなしに歩行者天国になっている。しかし、規制がないので民衆の行進やダンスやモッシュの中に平気で車やバイクが入ってくる。それも勿論オッケーだ。狂ってる。でもみんなが同じレベルでメーター振り切っているので、誰もがその狂気に戸惑っていない。ただ、アナーキーなだけ。

 これはスポーツの勝ち負けへのリアクションではない。革命だ。歴史で語られてきた革命勝利の瞬間に立ち会っているようだ。革命に勝利した日の街だ、ここは。勝つ喜びではなくて、ここから変わる、ここから始まる―――そんな感慨に喜び狂う感じだ。勝って良かったではない。俺らはここから解放の日々を始めるんだという喜びの覚悟が見える。僕も大声で叫んだ。セリョール、と大声で叫んで肩を叩き合った。ポルトガルが勝ったことは重要なことじゃなかった。僕はオランダを応援していたのだ。しかし、ポルトガルが喜び合っていることには、とても大切なものを感じた。だから叫んだ。オランダ・サポーターもそうだった。誰も腐らず、ポルトガル市民に拍手や叫びで勝利を称えていた。しかし、僕は見たよ。街の狂騒に、ポルトガル人の新たなる栄光に、拍手を続けたオランダ・サポーターが、狂騒を逃れて地下鉄のホームに入ってきた時、みんな泣きそうな顔をしていたんだ。全然サバサバなんかしていない。死ぬほど悔しくて寂しいのだ。奴らも本当に闘っていたのだ。彼らは「今日は」負けたのだ。

 いつもの公園も凄いことになっていた。僕のことをブラジル呼ばわりする奴らは、今日はさらにヘラヘラプカーっとしながら、スコラーニと呼んだ。監督だ。そりゃブラジル人だし、今やこの国の英雄だし、悪かないけど何で俺はブラジルでスコラーニなんだ? そろそろ答えが欲しい。彼らは言った、「神の国だからさ」何だそれ、俺は神なのか? 「違うって、お前はどうでもいいけど、お前の笑顔が神の国みたいなんだよ」、ますますわけがわからん。でも僕は最初から、この公園を通る時にひとりでとびっきりに笑っていたらしい。そうか、じゃあと思って、勝利の瞬間に大袈裟なポーズをするスコラーニのマネをした。大ウケだ。奴らはラリってるから何でもいいんだろう。でも僕は今、この時がとても喜ばしい。

Last Update : 2004年06月30日 (水) 22:42


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