Day 5
June 26, 2004
初めてゲームを観ない日が来た。凄いな、3日続けてスタジアムでサッカー観ているなんて。まるでロシアの石油富豪みたいだ。ほーらチェルシー、もひとつチェルシー。ところでアブラモビッチとイブラモビッチってどっちがメジャーなんだろ。どっちだ? どっちがスウェーデンのエースでどっちがロシアの石油王にしてチェルシーの乗っ取りオーナーだか、知ってるか? すっかりサッカー界もロシアの大富豪を中心に廻り始めている。みんな金がないんだな。
エストリルのビーチへ行くことにした。エストリルはF1オタクな人間にとってはポルトガル・グランプリのサーキットがある凄い街だ。僕はF1オタクだ。ロッキング・オンの前の扶桑社に入ったのも、あそこに入ればフジテレビ流れでF1に関われるのではないか? という気持ちもあった。無理だったけどね。ロッキング・オンに入った年、鈴鹿に行くために3日間も休みを取った僕を語り合う会議を設けたらしい。月曜のホームルームの「鹿野君について考えてみよう」みたいだ。辞めさせるかという検討も成されたらしい。途中、サーキットを通った。鈴鹿サーキットと同じように何にもない山の中にあった。砂埃がひどかった。サーキットに砂埃は天敵だ。一気にタイヤのグリップを落とし、レースにアクシデントを与える。のに殆んどのサーキットは山の中にある。微妙だ。
凄い街には凄いビーチがあるだろうと期待に膨らませて(何が膨らんだのかは、7秒後にわかる筈だ。このまま読み進めることを期待する)、向かった。実際、経験したことがないほどの凄いビーチがそこにはあった。細かいシチュエイションを書いても仕方がない。一言で言えば、「おっぱいビーチ」だったのだ。おっぱいをポロリと出したトップレス・ギャルが、おっぱいを太陽に差し出すように寝そべりながら、おっぱい隠さず顔を隠したりして「お前、アタマ隠して尻隠さずって書こうとしただろ」なんておっぱい自身が言い出しそうな豪快さでおっぱいがそこに存在していたのだ。初めてだ。ヌーディスト・ビーチは初めてだ。いや、ヌーディスト・ビーチではない。一部の人しかおっぱいを僕に差し出していない。僕に射しだしているような気がしてくるほどおっぱいは堂々とメニューのリストに入っているのだ。―――何言っているのか、全然自分でもわからないほど素敵だ。ユーロを観に来た日本人はかなりいて、「鹿野さん、サッカー雑誌に転職だったんですか。どの雑誌ですか?」と街で語り掛けてくる人がいるほどだった。でもビーチに日本人は円熟を極めたおっさんひとりしかいなかった。おっさんは円熟の過程でここがおっぱいビーチだって知っていたんだろう。旅は常に輝かしくおっぱいと自分を繋げていく。あー、わからない。だって日本人もいないから、「おっぱいおっぱい」って声に出しておっぱいの横を歩いたりしたんだよ? どう、僕の勇気響いた? おっぱいって何でもさせてくれるし、何でも認めてくれているようだ。そうさ、絶対にそうさ。おっぱいぱい。
でもみんながおっぱい出しているわけではない。数えたら(数えるなよ)、全女性の中でだいたい37人にひとりがポロッとしている。ということは74個にふたつのおっぱいだ。割っていくと、37個にひとつだ。あ、戻ってしまった。行変えしよう。
あー、おっぱい。でも30分経つと、いろいろ見えてきた。男性とのカップルでのおっぱい聖人は殆んどいなかった。ひとりだけだった。ひとりでポロリのおっぱい聖人は若干だった。30人ぐらいだった。後は、……そう、女性ふたりや女性3人や女性4人が多かった。多分、いや間違いなく「レズビアン」なんだと思う。それがおっぱいビーチの真相だ。自らの業というか性に対する考え方、常に差別と偏見と向かい合っている彼女達の気概、それが自然とおっぱいをビーチで輝かせているのだ。あー、このおっぱいは誰のもの?
おっぱいを語ってはいけない。僕はそれを知っている。おっぱいを語るアホは本当のおっぱいの偉大さを知らないのだ。おっぱいは語るのではなく、かぶりついて甘えるもの――いやいや、ただ「それ、最高!」という事実だけを真摯に感じさせる膨らみという名の絶対生命だ。僕にとってはそうだ。じゃあ、書くなよ。いや、今ははっきり言っておっぱいを語っていない。見るように、さわりたいように、愛しさに溺れる心を愛でるようにおっぱいと綴っている。今、僕はおっぱいにラヴレターをささやいているようだ。
でも1時間もすると、おっぱいが当たり前になってくる。それはいけない。いけないよ。知らないおっぱいと出逢う時、その時は必ず感動と感謝を忘れてはいけない。しかし、忘れそうになる。だって、凄い数のおっぱいが、恥じらいなしに射し出されているんだもん。
凄い偶然があった。昨日、カフェで横を通った素晴らしいノーブラ・レディーが、ビーチでおっぱい出していた。偶然じゃない、必然だと感じた。でも、だ。―――あの時おったったモノが、今おったっていないのだ。何故? 僕は自問自答した。たてたてたてたてたてたて………まるで初めての少年が焦っている様に、僕は僕自身に叫んだ。しかし、頂点は天を向くことはなかった。
おっぱいは語るものではない。でもおっぱいは見過ぎるものでもない。厳粛な気持ちで目の前に差し出される「たったふたつのおっぱい」を僕は羨望の気持ちで味わいたい。でもここではおっぱいはイワシの炭火焼のようにひっきりなしだ。しかもおっぱい自身に恥じらいも怯えも興奮もない。肩や腹や腕と変わらない。残念だ。何より自分がこんな気持ちになるなんてとても残念だ。そこにおっぱいがあるのに、僕は寝てしまった。あー……エストリルの太陽のいじわる。タバコが切れたので買いに行くと、マルボロが2.35ユーロだった。日本と変わらない値段だった。ここ(勿論ポルトガル全体)は安いんだな。だからみんなスタジアムでも駅でもデパートの中でも辺り構わず吸うんだ。まだEUに加盟して間もないポルトガルは、いろいろ発展途上であると同時にいろいろなことが自由だ。この国は自由が大好きだ。何故ならばつい最近まで全然自由じゃなかったからだ。つい30年前まで、この国は右翼独裁政権で、秘密警察による徹底的な監視体制の下にあった。サラザールという名前は聞いたことがあるだろう。奴の恐怖政治はついこの前までこの国を怯えさせていたのだ。チクリと拷問と言われなき罪と恐怖に怯えて暮らしていたのだ。キューバというより、その歴史は僕らの北側の国に近いものがある。それがわずか30年でヨーロッパ随一のリゾート・エリアとなった。今、ポルトガルで最も哀しい物語はすべて「ファド」という哀愁民謡の中に封じ込められている。だからファドという歌は「島歌」のように切なく美しい。ポルトガルは貧困が続いているにも拘わらず、仕事がない人々すら解放されている。解放された精神が、あぐらをかかずにきっちりと自由を構築したからなのだろうか? 今なお、いろいろな人達が見つめ直し、いろいろな体制が参考にすべきテーマは世界中に散らばっている。
帰りついでに、昨晩の狂騒ベイ・エリアでオランダvsスウェーデン戦をヴィジョンで見ながらタコのステーキを食った。日本と同じくらい、タコが好きらしい。タコもポルトガル譲りだったのか。でもあまり歯ごたえがなかった。もう少し、繊細な味わいを求めたかった。だから口直しにイワシを食って、チキンを食って、驚かれながらプディングを3個食って次々にワインを流し込んだ。したら試合は延長に入った。周りはスウェーデン応援ばかりだったが、僕はオランダだった。この試合の勝者が、ポルトガルと準決勝であたる試合を観に行くのだ。オランダのサッカーを観たことがないので、観たかったのだ。でもオランダがシュートやチャンスを外した時、僕だけが「おうぅぅぅぅ!!!」っと大声を出すので、とてもアウェイな雰囲気になってしまった。ひとりで立ち向かおうと「干しタラのコロッケもちょーだい」と頼むと「デザートの後で食うのか? やめとけ」となだめられた。ウェイターまで敵かよ。そのまま昨晩のトランスディスコで踊って帰った。かなりおしゃれなクラブらしいが、ゴテゴテしたディスコにしか見えなかった。音楽もそう。みんなの踊りはそれぞれ勝手で、イギリス系のブンブン踊る感じと、スペインやフランス系の腰が絡まりそうな踊りと、ドゥー・ハッスルな感じの現地のダンサーが混じっていい感じのテンションだった。でもやはり音楽が楽しくないので、2時間で外に出た。電車が終わっていたので、タクシーで帰った。ホテルの横の公園での毎度おなじみの奴らの煙いパーティーは終わっていなかった。みんなタクシーの中の僕を指差しながら、とろ〜んと笑っていた。ブラジル人もタクシーに乗るのかよ、みたいな目でとろ〜んと笑っていた。朝の5時だった―――。