EURO 2004 in ポルトガル Day 4

Day 4
June 25, 2004

 朝の5時にホテルに戻りここまでの原稿を書いたものだから、寝ないまま9時になってしまった。テレビを観ていると、勿論まだ興奮から国全体が醒めていないのがわかる。その中でもやはり監督のフェリペに対する賞賛が大きく、彼が試合終了直後にポルトガルとブラジルの両国旗を掲げている映像が最も多く流れていた。みんなそのパフォーマンスにも感動していたのだろう。結局はここでも必要なのは感動ストーリーかよ、セニョール。兄弟国から来た、兄弟監督の人情物語がテレビでドラマチックに流れていた。実際のところ、昨日の試合のフェリペは監督のみならずキャプテンも兼ねていた。ベンチではひとりずっと立ち上がって派手なアクションで選手を指揮し、選手が戻ってくると肩をバシバシ叩いて励ます。フィーゴのキャプテンシーが全く発揮されていなかった代わりに、フェリペがひとりで選手を支えていた。凄いわ、この監督。

 よく考えてみたら、フェリペがイングランドと闘うのを観るのは2回目だった。ワールドカップのブラジルvsイングランド戦だ。ピエール瀧とマッド・カプセル・マーケッツのTAKESHI君と共に観に行ったあのイングランド戦だ。静岡のエコパスタジアムに向かう途中、突然携帯に「明日、宇多田ヒカルの取材をやって欲しいんだけど」とマネージャーから電話がかかってきてとても混乱した(『ディープ・リバー』の時、急病でリタイアした宇多田ヒカルが真相を語った独占インタヴュー。結局彼女のホームページに2万字以上のボリュームで掲載されるという画期的な取材となった)、あのゲームだ。静岡のうなぎ、あぁ今すぐ食べたい静岡のうなぎ。名古屋と静岡は関東と関西の中間だからこそ、独特のオルタナティウ゛な味付けが生まれる。そんな曖昧さの幸福な落としどころとも言える甘辛ダレに魚とも言えぬこれまた曖昧な生命体:うなぎ。あぁ、うなぎ。すまん、あの時と比べてフェリペの「個人技」は冴え渡っていた。彼のキャプテンシーこそが、ポルトガル代表にとって一番欠けていたものだったからだ。冴えた戦術は冴えたものであればあるほど、それを実現するための集中力とプレイヤーが「その気になること」が求められる。「その気にさせる」のが上手いのだ、フェリペは。ワールドカップで世界一になって、彼が新しく会得したのはそれだ。その神通力を、今ここで兄弟国の仲間のために行使しているのだ。最早彼が采配を振るうゲームはパーティーだ。みんなが特別な瞬間がそこにあると、興奮している。

 今日はフランスvsギリシャ戦の前にひとつ約束があった。友達とリスボンで会う約束だ。友達の名は、浜崎貴司。元フライング・キッズ、今はソロとしてがんがんヤッちゃってる浜ちゃんだ。直前になって浜崎が行くことを知り(って、俺自体が決めたのが10日前だっつーの)、リスボンでメシ喰う約束をしたのだ。そもそも僕がロッキング・オンを退社してから何回か連絡取り合って「メシ食べようよ」と話していたので、それがポルトガルのリスボンになっただけだ。――なんて言い方すると凄えカッコいいな。

 浜崎は今回、カメラマンの小暮徹さんやその奥さんでもありイラスト&料理批評家でもあるこぐれひでこさんと共に来ていた。ミシュラン・ブックで好評だったという店にみんなで行くことにした。小暮さんは、「鹿野君の退社祝いだ、今日は。リスボンで祝うなんて、なんて贅沢な奴だ!」とからかってくれる。小暮さんにもいろいろ世話になったものだ。「桑田圭祐さんをMCハマーのように撮ってください」とか、わけわからんオファーしたのも懐かしい。店はいい感じにアットホームだった。ポルトガルの美味しい店は、格式を重んじるより人当たりの良さをアピールしている気がする。素晴らしい考え方だと思う。食事する店は、店の権威よりも「食」という文化に向かい合うことを演出しているからだ。―――なんて書いたが、実はずっと食事にも会話にも集中できないことが起こっていた。僕の右隣のテーブルに、どう見てもオランダの最凶フォワード:ファン・ニステルローイとしか思えない人物が食事していたからだ。女性ふたりとニステルローイ。でもオランダの試合は明日。しかも場所はリスボンからかけ離れた、ポルトガルの最南端の街。どう考えても違う筈だ。……でもどう見てもニステルローイ。ほら、昔あったじゃん、大阪場所なのにわざわざ女性に会うために日帰りで東京に来た相撲取り。でも相撲取りだからして目立ち過ぎるからすぐに密会がバレた、あれあれ。あれだろ、ニステルローイも。しかも女性ふたり。2倍。オランダ男はデカくて強い。関係ねーか。でも浜崎も小暮さんもあり得ないと言う。果たして彼は誰だったのだろう?
 
 御飯は美味しかった。ひとりじゃない食事は久しぶりだったし、荷物を置いてトイレに行けるのも久しぶりだった。トイレは良かったなあ、荷物気にしないで入ると、「出」が違うんだよ。今までチンチンに気が廻らなかったから、最後のひと絞りがキュッといかなかったんだよぅ。嬉しいよぅ、キュッ。御飯も美味かった。干したタラとジャガイモと卵とたまねぎを炒めたものを食べた。体に優しい味だった。風邪ひいた時に母親に作ってもらった味だった。いや、そんなもん作ってもらったことなどない。でもそういうメランコリズムがある味だったのだ。だいたい母の味とかいうあれ、あれは実際の母の味を思い出す奴なんていない。本当の母の味なんていい年になって憶えていたら、それは本物のマザコンだ。きっと母の乳の味も憶えているだろう。そういえば、こっちの料理は風邪ひいた時用みたいな料理が多い。リゾットや、フルーツを細かく刻んだものや、卵スープ(とはいっても、だしは違うし、パンやクルトンが浮かんでいるんだけどね)などなど。マジで美味しいです。こぐれさんが「ほら、日本はポルトガルとオランダが西洋文化の血をいれてくれたじゃない? でもオランダ料理はあんまり普及しなくて、ポルトガル料理やスペイン料理は普及しているし日本の料理のルーツになってるでしょ。つまりオランダ料理は不味かったってことね」と言う。さすが料理研究家。あー、会話っていいなあ。と思うが、別にひとりでいることも全く寂しくない。あー違う。寂しくて当たり前。寂しくないと逆に死にたくなる。だろ? 僕は人と一緒にいると人と共に存在する醍醐味を貪るが、実はひとりでいる時間もかなり好きだし、必要なものなのだ。青年期にひとりでいる時間が多かったし、その時間をとても楽しんでいたからだろう。何で楽しんだかというと、そこにいつもロックがあったからだ。

 御飯が終わり、とりとめもなくバスに乗ることにした。乗ったバスの中では無銭乗車の女性が吊るし上げられ、「払ったわよ、あたいは! 払ってないって言うんなら、それはあたいの腹の中にもうひとりいるってことね。その子の分を払ってないって言うんでしょ。あーそう! ほら、見てよあたいの腹の中にもうひとりいるか、ほら見なさいよ、ほらほら!!」と逆ギレしながら腹を見せてバスを降りていった。やるな。その後カフェでお茶をしていたら、ノーブラでノー・ヌーブラで体に張り付くようなミニスカート・ワンピース着た女性が、歩いてきた。おうぅぅっ。こっちに来てから朝以外に初めて「おったった」。おったったついでに、「じゃあ、闘いに向かうわ」と勇ましく言い残して、おったったまんま浜崎達と別れ、おったったものを内股で隠しながらスタジアムに向かった。肝心のスタジアムでは、もう萎えてたんだけどね。
 
 スタジアムの周りは、今日も溢れんばかりの人で、どっちかというと、フランスのほうがサポーターの士気が高かった。でもなんか変なのだ、フランスは。イングランドと比べるとわかりやすいのだが、応援の声のトーンがかなり高いのだ。イングランドはビート、フランスは上音って感じなのだ。だからなのか、その応援のリズムが悪いのだ。だから、士気の高さはわかるが、なんかノレないのだ、フランスのは。リズムが悪いが声高く―――まさにおフランスな感じだった。どこか調子っぱずれなエールを聴いていたらこっちのビートの調子が悪くなってきたので、スタジアムの中に入った。90分も前に入ったものだから、スタジアム内のシートには僕を含めてまだ300人もいなかった。なんか歌いたくなったので、フライング・キッズの“幸せであるように”をレゲエのリズムで歌った。場内整理の若者が拍手してくれた。そういえば、会場に入る前にピンバッジが配られていた。そこには「Let us play」という言葉が綴られていた。さあ、サポーターもみんなで闘うのだ、という意味だと思い、盛り上がってもらった。しかし、これは「Protect children in war」という大会のサブ・キャンペーンにかかるコピーだった。つまり、「戦争から子供達を守るために、僕らはここでフェア・プレイというルールの中で闘おう」ということだ。発起人は世界一有名なイタリア人審判、コリーナ氏。この大会をもって国際舞台から去るコリーナ氏だった。愛のコリーダ。少し落ちたよ。みんなが胸に留めればいいことを、大上段から掲げる大会。まるで万博みてーな。いや、ウィー・アー・ザ・ワールドみてーな。いらないのに、そんなコピーや体裁など。プレイですべてを示せばいいのに。チバ ユウスケだったら「鳴らしゃあいいんだよ、鳴らしゃあ」と言うだろうな。元気かな、奴は。

 僕は思う。CHANGE THE WORLDなんて誰も考えなくてもいいし、そんなこと大きなお世話だ。CHANGE YOUR WORLDやCHANGE MY WORLD、大事なのはそれだと思う。そこから始めないと何も変わる筈がないのだ。僕にそれを教えてくれたのはHERE I AMを高らかに鳴らすロックや、愛に溺れることを許すダンス・ミュージックや、目の前の壁をこじ開けて闘う姿勢を明確にするサッカーだった。ありがとう。

 試合はフランスが負けた。ギリシャにフランスが負けた。世紀の大勝利の次の日は、世紀の番狂わせである。2002年ワールドカップの惨敗の汚名を晴らすべく臨んだユーロがベスト8止まりだったことにより、フランス代表は今後、地の果てまで落ちていくんじゃないか? と思わせるゲームだった。この番狂わせは決して偶然でもなければ出来過ぎでもない。スタジアムで観ている限り、フランスは何も美しくなかったし、何も強くなかった。昨日のダーッと行っては、ダ―ッと帰ってくる。そんな騎馬戦の後だからこそフランスの攻撃的な美しさと技に期待したのだが、でもトレセゲに何かを感じたのはウォーミング・アップの時のシュートの弾道だけだったし、アンリに何かを感じたのは走っている姿がカッコいいなあ、ミスするとすぐに口を隠すのは、体臭だけじゃなく口臭もキツいからなのかなあ、ということだけだった。そしてジダンだ。ジダンはピレスという自らの後継者にならんとするプレイヤーに華を持たせるあまり、多くのタイミングで肝心なポジションを外していた。みんなジダンを観ていたのに。すべてのフランス代表プレイヤーがジダンを探しながらボールを転がし続けたのに、ジダンはそれに応えなかった。言うまでもなくピレスは何の輝きも可能性も精度も見せることなく、あっけなく途中でピッチから消えた。お前、アーセナルではあれだけピッチを自分のステージにして舞っているのに、ジダンがいるとてんでダメなんだな。そっか、そうやってジダンの威光はジダン自身を孤立させ、それ以外のプレイヤーを萎縮させたのか。救われない救世主ジダンの寿命はすでに……。これでフランスが勝ったら、そっちのほうがおかしいゲームだった。ギリシャは2002年のアイルランドのように無骨なプレイに誇りを持ち続けて城を固め、時折のカウンターにすべてを賭けた。そして1発それが当たった。勝つべくして勝ったのだった。もう一度言うが、フランスはここから本当にゼロになってしまった。2002年のブラジルのように、ゼロからの復活を遂げるか、現在のドイツのように落ち続けるか、どうなっていくのだろうか?

 でもつくづくサッカーは、セックスなのだと思った。試合は闘いであると共に、何処まで敵とハーモニーを描けるかが僕らの興奮に直結するのだ。その意味でフランスにとってギリシャは相性があまりにも悪かった。美しいフォーメーションを描くことが出来なかったのは、ギリシャとハモれなかったからだ。相手を躍らせて自分が躍る、それがジダンを中心としたフランスのサッカーだ。フランスがギリシャを躍らせねば、そしてフランスのためにギリシャがキリキリ舞いしてくれねば、本当の意味でのフランスのサッカーは作れなかったのだ。だから負けた。フランスの闘い方はとても勝手だし贅沢だ。何が何でも勝つフォーメーションは、この国のサッカーではない。でもそうやって相手に躍ってもらいながらフランスは世界一になり、ジダンは世界最高プレイヤーになったのだ。そして、その贅沢な嗜好性こそがヨーロッパ・サッカーの根っこだ。もっといいセックスが観たかった。ポルトガルとイングランドのセックスは、観てるこっちが火照るような熱さがあった。

 そんなことを考えながら、このままホテル帰るのは金曜の夜が許さないので、ベイ・エリアへ向かった。そこにはカフェからディスコからレストランから何から何までがあって、夜中じゅう狂っていられる場所だった。既に昨日落日したイングランド・サポーターがフーリガン化していて、アイリッシュ・パブはちょっとした狂騒の楽園となっていた。かかっている大音響の音楽など全く無視で、ひたすら応援歌を歌い続けビールを流し込んでいる。最初は面白かったが、ずーっと同じように歌って流し込んでいるだけなので飽きた。ディスコは、スペインのイビザを狙っているのか? 脳みそが足りなさ過ぎてアタマを空っぽにすら出来ない水っぽいトランスが外に響いてくる。嫌だ、それは。ダンス・ミュージックのミュージックな部分が全く聴こえてこない音楽は逆に殺意を覚える。というわけで、ガーデン・パーティーに行った。そこは80年代モノがずーっとかかっていて、デペッシュ・モードからソフト・セルにDJが繋いだ瞬間、僕はヤラれたのだった。ずーっとスミノフを呑みながらDJの前で見ていた。キュアーの“フライデー・アイム・イン・ラヴ”が流れた。最高だ。最高だと思い体を揺らしていたら、DJが「お前もやるか?」と冗談で言ってきた。冗談を冗談と受け取らないのが僕の長所、そのままレコードを漁った。

 漁る手つきで大丈夫だと思ったのだろうか、本当にやらせてくれた。そこでハッピー・マンデイズを続け、それにブラーを繋いだ。ブラーの回転数を極端に変えたのがDJにウケたので、もっとやらしてもらうことになった。そこでオハコのニュー・オーダー、曲は勿論94年ワールドカップのイングランド代表テーマソングだった“ワールド・イン・モーション”!!!―――すると突然大変なことが起こった。隣の隣のアイリッシュ・パブにいたイングランド・サポーターが大挙して押しかけ、狂ったように踊り歌い始めたのだった。僕は最高に幸せだった。けど店は困り果てていた。DJが「ちっと静かなのかけとこうか。アイツらに店が乗っ取られるからさ」と言う。僕は「わかった。じゃあスローな曲で」と言った。DJは安心していた。でも次の瞬間、僕がかけたスローなナンバーはクイーンの“ウィー・アー・ザ・チャンピオン”だった。さっき以上に沸点が上がった愛すべきフーリガン達のこれでもかという大合唱が始まった。店はパニックになった。僕は最高だった。DJは笑いながら、「もういいだろ?」と言って、代わろうとした。もう充分だった。充分幸せな瞬間を作ったんだから。大合唱を聴きながら「イギリス人って野太いダミ声で歌うけど、実はけっこう音程とリズム感がジャストなんだよな」なんてことを考えていた。何度も言うが最高だった。そのクイーンからDJはピンク・フロイドの“アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール(パート2)”に繋いだ。ウケると思ったらしいが、サポーターが一斉に帰って行ったので、バツが悪そうだった。でも店は安心を取り戻してホッとしていた。だから、クイーンをかけたんじゃなくて、“ウィー・アー・ザ・チャンピオン”をかけたんだって俺は。サポーターのエモーションのど真ん中に1曲で突っ込んで行ったんだって。そんなこともわからないで、クイーン→ピンク・フロイドって流れ作るDJにはDJたる精神が欠けているなんてことをリスボンで書いてもしょうがねーべや。店の人にワインとイワシを奢ってもらった。ギャラかよ。ここでもイワシをアタマから骨からボリボリ食うと指をさされて驚かれた。まだ、僕はイワシの頭と骨まで喰らう奴をこの国で確認していない………。

Last Update : 2004年06月25日 (金) 22:29


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