Day 3
July 24, 2004
起きるとテレビでは、ドイツ人やチェコ人が「ポルトガル!!」と連呼している。あー、このヤラセだったのか、昨日無理やりマスコミが言わせていたのは。と気付くが二日酔い甚だしく、しかも部屋の窓のシャッターが壊れて閉まりっぱなしなので(多分に僕が酔っ払って朝方壊したようだが、ホテルの人はまさかこんなベビー・フェイスの日本人がそんなことやつ筈ないと思って、盛んに僕に謝ってくれたのだった)、非常に気持ちが窮屈だ。
昨晩のことは全く憶えていない。何しろ凄い人の山だった。あいつらデカいからまさに山。リスボンにもワールドカップの時の歌舞伎町コマ劇場横広場みたいな集会場が何となくあって、昼間はロシオ広場、夜はそことドッカ・デ・サントアマーロというベイ・エリア。両方行ったが、両方でキンタマを握られた。1日に2回、違う場所で違う男性に握られたのはキンタマも初めてだったことと思う。マニック・ストリート・プリーチャーズやオアシスの写真をよく撮るミッチ池田に会うと必ず1時間に3回は握ってくるのだが、その感触をキンタマも思い出したみたいで具合は悪くない。むしろ心地よさそうだ。ひたすら浮浪者が売っているビールを1ユーロで買ってひたすら飲む。たまにポルト人が赤ワインを一口くれるので、自然とちゃんぽん。「ファド」というスペインの演歌のようなものや、フォーク・ダンス民謡のようなものがテントの中から流れている。踊る人もいれば、大きな声で歌う人もいる。ファドはエレジーが多い筈だが、今日は明るめのナンバーが多い。当たり前か。世紀の一戦を前に哀しんでも縁起が悪い。だから、キンタマ握り合って(いや、実際にはそんな奴らは一握りしかいないのだが、僕がその一群と共にいただけみたいだ)、気合い見せ合ってもう朝の4時になっていた。なんのこっちゃな最高の夜だった。リスボンの街中へ向かう電車は26時頃まで出ていて、朝は5時半頃から始発が動き出す。完全に夜型人種だ。始発でホテルへ帰った。
昨日より朝飯が不味いのは僕の問題だけではなく、ハムが薄いからだと気付いたのは2個目を食べた時だった。よって、倍の量のハムをパンに挟んだら昨日と同じ味になったので、そこからまた食べ始めて結局5個も喰った。不味かったのを2個喰ったから5個食べることが出来た。たかが朝飯で不味いのが何故かを徹底的に追求したからこそ、修正してたくさん食べることが出来た。今日の朝も悪くない。二日酔いは、人にいつもと違うことを考えさせる。
テレビで昨晩の狂騒のVTRを確認していると、昼にアンコウのリゾット食べた時に横で喧嘩していたカップルのムチャクチャキレイだったモデルのような女性が広場でベロンベロンに酔っ払っているのが映し出されていた。きっと喧嘩の後で「もう好きにして!!」状態なのだろう。乱れた美人はいつの日も何処の国でも最高の中の最高だ。それにしてもテレビを観ていると、たまにモノクロームの道路映像が出てくる。非常に不気味だが、どうやらこっちの渋滞情報の映像――つまり道路に設置されているカメラはモノクロームらしい。昔の戦争映画や『メトロポリス』のような冷徹な感じに映る。色付けたほうがいいんじゃないか?……関係ねーか。
昨日歩き過ぎたし、飲み過ぎたし、今日は世紀の一戦だ。だから観光はやめて、試合に向けて徐々に調子を上げていくこと決めた。だからまず、ロシオ広場に向かった。そう、5時間前までいた場所に再び向かったのだ。猿のオナニーのように、バカのひとつ憶えで向かった。でもそんな猿のチンチン、いや、猿のチンチンをいじくる親指レベルの奴らはたくさんいる。そんな親指人間が広場に集まっていた。が、何だか元気ねーぞ、オラ。決戦の昼前なのに、全然ダメ。たまに横を通り過ぎる子供達のほうがよっぽど上がっている。午後になっても全然沸騰しない。昨日と同じ時間に同じバーの前に行ったが、昨日のドイツ人のほうが100倍テンション上がってたし鼓舞し合っていた。それにしてもドイツは何でサポーターのテンションがあれだけハイで勇ましいのに、チームはあんなに大人しくて影がグラウンドに漂っているのだ? あれは何とかしないと大変なことになる。冬の時代が長く続く感じがするのだ。
話を戻そう。何となくわかってきた。つまり、「まだ起きてない」のだ。いや、人はそこにいるがアタマが起きていないのだ。そう言えばずーっとそうだった。イギリスでのレイヴやフェスの次の日、いつもみんなこうだった。不機嫌というか、起きていない感じ。明らかに昨晩使い果たしちゃってる感じ。その点、ドイツはいつも違った。レイヴの帰り、朝の電車に乗ってる通勤サラリーマンと同じぐらいシャキーッン!としているのがドイツの朝帰り野郎だった。だってエクスタシーキメまくってる奴らが、「今日も始まるぞぉー!」みたいな燦燦とした表情で帰途に着くのはどーにも不気味だった。あり余っているのだろう、体力も知性も。だからドラッグも朝も関係ないのだろう。でもイギリス人は違う。朝は、そしてクスリ入れたら、もう「ダメ〜」だ。すぐにダメになる。というか、ダメになりたくて踊ってヤッて、そしてサッカーに想いを馳せる―――それがレイウ゛ァーやフーリガンだ。ロックだってそうじゃないか、そこが僕らが好きなオアシスやプライマル・スクリームの芯だ。ダメの果てで、またダメになる。フーリガンの朝は、昼は、もうダメダメだ。でもそれが奴らの芯なのだ。わかってしまったので、広場を後にする。僕は奴らよりはダメじゃないみたいだから、今は波長が合わないのだ。
だからといってショッピング・センター行かなくてもいいだろう、と一人ツッコミを入れながら、イベリア半島最大規模のショッピング・センターへ行く。何故ならば、このSCに今日のスタジアムLUZ(ルース)が隣接されているからだ。乗り込んじゃえというわけだ。双眼鏡を忘れてきたので、昨日はカーンが怒っているのか、諦めているのか全然わからなかった。だからまずはそれを買いに行った。のだが、どーにもこーにもデカい、ここ。食料品売り場を見つけてしまってそこに90分ほど居座ってしまった。だいたい、横浜アリーナのアリーナ部分の2倍ほどの面積の食料品売り場だ。90分のうち、30分は「これだけ食い物が置いてあって、でも平日はそんなに客がいなくて、したらむちゃくちゃ食い物が腐ってくよなあ………。どーすんだろ、そのまま売るのか捨てるのか、それとも腐りそうなもので加工食品を作るのか……」と悩んだが、でも60分は楽しく魚の顔を見て、ベーコンの燻製を嗅いでいた。だから、気付くと体が震えるほど冷えてしまい(冷蔵庫の中にいるみたいだったのだ)、それで慌てて外に出たのだった。あの、太刀魚が3倍に巨大化した、それでいて全身真っ黒な長魚は何だったのだろう? 15分待っても誰も買わなかったのに、氷の上に30匹も横たわっていたのは何でだろう? ヨーロッパ最西の果ての地は、かくもミステリアスなのだ。
東京ベイNKホールのアリーナ部分ほどのイーティング・スペースがあるフードコートでチャイニ―とケンタッキーとスープをいただく。ケンタッキーはその国によってスパイスが変わらないのに、鶏が違うので微妙な違いが出る。それを感じられるのか、僕はそれを感じることが出来る人間なのか? 僕はまだ大丈夫なのか? そんなリトマス試験紙として、ケンタッキー3ピース各地で食べるのは非常に重要な所業になっている。リスボニア・チキンはパリのエッフェル・チキンと比べて小振りだが、レッグの筋肉の繊維はとてもしっかりしていた。ブロイラーとしては、よく歩かされているのかもしれない。そんな気がした。だからどうだと言えばどーでもないことだが、でも隣のフーリガンが僕が軟骨までバリボリ言わせて喰っているのを見て、一目おいていたのは気持ちが良かった。お前もイケよ。高校時代、ナンパした女性の前でケンタ軟骨をバリボリやって、即行帰られたのが報われた気が、するわけはない。だってあの日、僕は勇気を振り絞って「きみのうなじって綺麗だね?」と語りかけたんだぜ? 高2の春。それでついてくる女性も女性だが―――。
双眼鏡も携帯のNOKIAが販促グッズを10ユーロの格安で売ってるのをゲットした。そろそろ盛り上がってきたかと思いSC前の広場に出たが、人はうじゃうじゃいるがまだフーリガンは起きていない。もう16時だ。大丈夫か、本当に。と思いそこでビールを呑み始める。やることがないから、ひたすらグビグビ呑み始める。ちっとも酔わない。僕は食事に関しては全国選手権レベルを未だ維持しているが、酒は普通だ。むしろ音楽業界という流すように呑むアホが多い中では弱いほうだ。「鹿野さ〜ん、あれだけ食べるんだからもっと呑んでくださいよ〜」とよく酒の席では言われるが、自分にとって食は日常、酒は飛びモノなのだ。よく飛ぶ類の人間だが、でも僕は日常を生きるのだ。あー全然違うな、言葉が見つからん。ドイツ人のビールやポルトガル人のワインのように水のように呑むのとは違うので、あまり呑めん。でも今は浴びるほど呑んでも気持ち良くならないし、酔わない。その時だ、気付いたのだ。僕がここに座り込んでからずっと買い続けていたビールに「SEM BEER」と書いてあるのを! 横のイギリス人に訊ねた。したら「そうだよ、これノンアルコールって書いてあんだよ」というお答え。オー、ノー!! わからなかったぜ、SEMの意味がグラッチェ。慌てて店変えて本物ビール買ったら、1杯でクラッときた。2杯でバッタもののイングランドTシャツ買っていた。3杯目を買った頃、ようやくフーリガンが起き出して、辺り一面がすごい狂騒の渦になっていた。17時半だった。よし、シンクロした。スタジアムに殴り込みだ。狂騒の時が、まだ陽が落ちる遥か前から始まった―――。
昨日のスタジアムと違い、LUZは入場もスムーズでスタッフの誘導も上手かった。入場ゲート前で配っていたブラック・チェリーをポルトガル人にからかわれて投げつけられ、バッタ・イングランド・シャツを汚されたが、まああれはブラック・チェリー以上に赤黒い顔して酔っ払っていた僕がただのブラック・チェリーに見えたからだろう。いた仕方がない。すぐにシートも見つかった。昨日はカテゴリー1のシートで今日はカテゴリー2だ(だいたい1から3まであって、数字が少ないほうがグレードが高いのだ)。しかし、明らかに昨日より今日のほうがグラウンドに近いし、スクリーン等も含めて観やすい。高いなか卯の豚丼より安い松屋の豚丼のほうが美味いのと同じで、往々にしてこういうことはあるのだ。こういう大会には「おらが国の応援パック」として、決勝リーグに進出したらあなたの代表チームが負けるまでずっと席を用意しますよ、というものがある(勿論、予選で負けたらそれまでなのだから、ある種の博打だ)。だからイングランド・サポーターもポルトガル・サポーターもたくさんいるが、それぞれのサポーターが1エリアに固まらずに混在していてとてもカオスだ(これは後に組織委員会側のミスだとわかる。その後はキレイに2国のサポーターが分かれていた)。しかも地元にも拘わらず、どうやらテンションも人数もイングランドのほうが数段上だ。イングランド人は雄叫びだけで鼓舞し、ポルトガル人はマフラー・タオルをぶんぶん振り回して視覚に訴える応援をする。無骨な分だけ、イングランドのほうが優位なペースを握っていた。何しろ、スタジアムにいるだけ本当に耳が痛くなるのだ。ちょっと退散してカールスバーグを買いに行くが、そこで昨日からスタジアムで売られていたカールスバーグも「SEM」であることに気付かされた。う〜ショック。だからあんなにスタジアム入る前にみんなビールかっ込んで、闇ビール売りが幅を利かせていたのか。でもみんなばかばかカールスバーグ買って、かっ込んでいる。みんな本当はSEMがノンアルコールなこと知らないんだ。きっとそうだ。だって、結構ラリってるもん。上半身裸で抱きつかれたもん、俺。…………っ。
結果は知っての通り。ポルトガルの歴史的勝利がPK、しかも7人目のキッカーはゴールキーパー:リカルドによって決まった。リカルドはイングランド7人目のバッセルのゴールをセーブした直後に自らのゴールで試合を決め、わずか1分ほどの間のふたつのプレーで、ポルトガルにおける永遠のヒーローの仲間入りとなった。
ゲームは開始わずか3分でのオーウェンのスーパーゴールが決まり荒れ模様で始まったが、20分ほどでイングランドの新星ルーニーが足の怪我で無念の退場に追い込まれると、その後のイングランドの攻撃はピタッと機能しなくなった。一方のポルトガルはというと最初っから流れが全く作れず、攻めてはいるがゴールする気が全くしない展開。そのまま前半が終わる。後半に入ると露骨に守りに入ったイングランド―――ベッカムのプレーでイングランドが何を目指しているのかがすぐにわかるのだ。意図的な怠慢プレーで時間を稼ぎに稼ぐ戦法に出たベッカムに、他の選手もすぐに追従していった。―――だが、そこからミラクルが始まる。そう、ポルトガル監督フェリペのミラクルだ。フェリペはあの2002年のワールドカップでブラジルを優勝に導いた、「ガード下の酔っ払い」のようなブラジルのおっさん監督。下馬評も低く、予選でも苦戦しまくりで何人もの監督交代が行なわれたブラジル代表最後の砦としてチームを任され、短期間で(特に精神的なコンディションを)修正して優勝させたおっさん。つまり今回、自国開催のポルトガルが雇った、必殺優勝請負人なのだ。あ、ちょっとだけジュビロの監督もやってたんだ。当初はブラジル代表に勝ったり期待を抱かせたが、ここ最近のポルトガル・チームは精彩を欠きまくっていて、ブラジル人プレイヤーを無理やり帰化させたこと(ゼッケン20番のデコ)も含め、得体の知れない監督としてかなり不安視されていた。ちなみにブラジルの言語はポルトガル語で両国は兄弟国。外人監督と言えど、言語は同じだし日本にジーコがいるのとは全くわけが違うことはわかっておいたほうがいいだろう。こっちのレストランで教えてもらったが、ブラジルのポルトガル語より、こちらのほうが言葉がはっきりしているそうだ。ウェイトレスに同じ言葉をふたつの言い方してもらったが、たしかにポルトガル仕様のほうがちゃきちゃきしていた。関西弁のようなものだと思っていて欲しい。違うか。
そのフェリペが後半に入ってからフィーゴ(ご存知レアルのスーパープレイヤー)を途中交代させる思い切った作戦に出た。そして交代で入ったポスティガ(イギリスはロンドンのトッテナムに所属)が、ルイ・コスタ(ACミランにいる、フィーゴと共にポルトガル史上最高のプレイヤー)が、交代で入った直後にヘッドでゴールを決め、その後しばらくして今度はルイ・コスタがミドルからすぽーんと2点目を入れたのだ。つまり、交代した選手が次々ゴールしまくるという究極の監督采配ゴールで逆転したのだ。この勝利によって、ここんとこ分が悪かったフェリペは一気に救世主扱いされることになるだろう。世論の手のひら返しだ。でもフットボールにとって、これは正論だ。こうやって感情レベルで正と悪を議論されることによって、サッカーは政治を超えるスポーツとなったのだ。
日本でこの試合がどう受け止められているのか、どう語られるのか全くわからない。というか、僕も何でこうやって原稿形式でパソコン打ち続けているのか、自分でもよくわからない。だって発表する場がないし、それを考えてもいないんだから。でも自然とこうやって語りかけるように言葉を次々と並べていってしまう。何なんだ俺は。帰国すると知り合いがホームページの立ち上げを手伝ってくれるという。まずはこの日記から始まるのだろうか。ちなみに僕は音楽ジャーナリストやロック・エディター、人によっては食獣と言われている男だ。今後もよろしく。
この試合ははっきり言って騎馬戦だった。イングランドには98年のワールドカップの時のオーウェンを彷彿とさせる圧倒的な光を輝かせるルーニーという18歳のフォワードがいるのだが、奴が途中退場するまでは、ベッカムの操った糸でみんながルーニーを中心にひとつの動きをしているようでワクワクさせられた。ルーニーは別に技術が突出しているわけではない。むしろ、玉持ったらドカドカ当たってドーンッッと蹴っ飛ばす象さんタイプだ。しかし、彼の周りには必ず風が吹いている。いや、奴が風を集めている。これが重要なのだ。98年のオーウェンもそうだった。その人の後ろを技術が追従せざるを得ない、眩しき風だ。だけどそのルーニーがいなくなってからは、ただの単調な往ったり来たりだけの試合に変わった(ベッカムが守りに入ったのは、守るためだけでなく、もう偶然やカウンターでしか点が取れないと判断したからだと思う)。そもそもポルトガルは最初っから騎馬戦だった。それはフィーゴに大きな責任があった。試合が始まる前のピッチ上から、キャプテンのベッカムとフィーゴは対照的な動きをしていた。常に真ん中に入りチームを統括するベッカムと、常に端っこで自分の調整だけを図るフィーゴ。ブラジルから帰化したデコとフィーゴは、フリーキックの時も微妙な乾いた空気を醸し出し(本当はデコは何回か自分で蹴りたかったのだが、それは言えないし、蹴るフィーゴもそれをわかって敢えて無視なのだ)、本当に雰囲気が悪かった。というかフィーゴの腕に巻き付けられたキャプテン腕輪は、何の意味も果たさないただの布っきれだった。性格の問題もあるだろう、しかし中田を見ろ。本来の自分のキャラクターを守るより、チームを守ることが腕輪をする男の最低の資格なのだ。中田を自分を変えることによってキャプテンとして第2の栄光を手に入れた。技術だけでなく、信用をだ。フィーゴは欧州最高選手の勲章は手に入れたが、まだキャプテンとしての評価という第2の勲章は手に入れられない。勿論原因は彼自身にある。だが、そんなフィーゴがいなくなって、ポルトガル代表は焦った。だって何もせずともキャプテンだし、他に精神的支柱がグラウンドにいないからだ。しかもフィーゴは交代にあからさまな不満を示し、ベンチに戻らずそのまま裏に戻り、結局は奇跡の勝利の時も姿すら現さなかった。完全に失格である、見損なったよフィーゴ。
このゲームはフィーゴが抜けてルイ・コスタが入ってから、完全に「ベッカムとルイ・コスタ」の物語となっていった。フィーゴがいなくなった何分か後にルイ・コスタが入ってポルトガル・チームに安堵が漂った。彼がピッチに入ったという事実だけで疲れまくった10人に癒し効果があったのだ。無論、ルイ・コスタはフィーゴと並び称されるポルトガル不世出の英雄だが、フィーゴ以上に衰えが見える存在だ。だからこの試合でも彼は「スーパー・サブ」として機能した。しかしそれは94年のワールドカップ予選の時のゴン中山のようだった。彼が入ると安心と高揚が増し、もう一度リセットして闘い直すことが出来る、そんな奇跡のビタミンのような存在だ。実際ルイ・コスタはところ構わず走りまくり、声を掛け合い、妖精のようにやる気を味方全員に振りまいた。その結果としての必然的なポスティガのゴールだったのだ。その後のルイ・コスタ自身のゴール? あれは必然ではない。むしろ偶然だ。当たりどころが良かったラッキー・ゴールだ。でも―――あの偶然のゴールはご褒美だったのだと思う。何故かと言えば、ルイ・コスタの1発で試合が決まらなかったからだ。あそこでまずルイ・コスタと、彼を中心にやっと歯車が廻り始めたチームに神様はご褒美を授けた。しかしそれはご褒美だったからこそ試合を決めてはいけなかった。そこで、終了直前でのベッカムを軸にしたイングランドのミラクル追い付きゴールが生まれたのだ。そう、これはルイ・コスタにあげたものと等価の何かをベッカムにも授けねばならなかった運命握る神様の「必然的な粋なはからい」だったのだ。………物語作り過ぎだって? だからお前はインタヴューでよく「そこまで考えてませんよぅ、ははは」とかわされるんだよって? 違う、こういうことは絶対にあるんだよ。自分の人生振り返ってみろ、後付けでわかる必然的なアクシデントは必ずあなたにも起こっている筈だ。それを真摯な姿勢で繋げるのが、ジャーナリズムだ。絶対にあれはルイ・コスタとベッカムへのご褒美だった。彼らはチームを掌握する運命のエネルギーを死ぬような想いで放ち続けていたからだ。そして若干、そのご褒美は両国のサポーターにも向けられていたかもしれない。何故なら彼らも凄まじい集中を見せていたし、サポーターが一番喜ぶご褒美を神様はルイ・コスタとベッカムに授けたからだ。―――これはちょっと作り過ぎたかな。
延長でも仲良く1つずつの「お前ちょっと、アレは入っていただろう!?(もしくはお前、アレはハンドだっただろう!?)」があって、結局はPK合戦となった。ここでももう一度、ルイ・コスタとベッカムの物語は始まった―――というか、これがあったからこそベッカムとルイ・コスタの物語が描かれていたことを知ったのだ。まずご存知の通り最初のキッカーであるベッカムがシュートを外した。蹴った直後、ゴールポストの遥か上を舞うボールを見ずに、ベッカムはボールを置いた地面を見ていた。引っ掛けてしまったのだ。ここでその要因は問うまい。地面の問題とベッカムの精神的コンディションと、失敗に対するブレンド率などわかる筈がないから。その後、次々とそれぞれのキッカーが決めていく。そして、今度はルイ・コスタが同じような軌道で外したのだ。結局、このPKでポストからボールをはずしたのはこのふたりだけだった(バッセルはセーブされたのだ)。運命でも物語でもないが、何かこういうことなんだなあと誰もが思ったことだろう。多くのPKは英雄に対して冷たい仕打ちを投げ掛ける。ベッカムもジダンも、そうそうワールドカップ決勝のロベルト・バッジォのPKを憶えていないか? これも「アレ」だった。逆に言うと、ルイ・コスタとベッカムは「選ばれた」のだ。
僕がここで書きたいのはその後からのふたりの物語だ。ルイ・コスタが外してから彼がピッチでとった態度を確認してから、僕は絶対にイングランドが勝つと決め付けた。ベッカムは外した後、正面を見つめながらメンバーの元に帰って行った。それをメンバーも受け止め、それからベッカムとみんなは肩を組みながらPKを見守った。ベッカムはPKが進行するにつれどんどん真ん中に入り肩を組んでいった。そう、「ベッカムのチーム」としてイングランドはPKに臨んだのだ。ルイ・コスタは外した後、うつむきながら帰って行った。メンバーはそんな彼に対応出来なかった。そしてルイ・コスタはピッチに座り込み、仰向けに寝転び、ゴールを一度も見ることなく手で顔を被っていた。この差だ。ポルトガルを軸に語れば、こんなチームが「ベッカムのチーム」に勝ってはいけないと感じたのだ。ベッカムは異常なキャプテンシーだけでなくこの試合で何度も奇跡的な精度のパスをあげていた。フィールド全体を観ていた者として言わせてもらえば、何度も「あのパスに反応出来なかったのは、パスを出したものじゃなくて出されたものが悪い」と偏見を抱かせるほど凄い戦略的かつ闘争的かつラジカルで美しいパスをベッカムは何度も出していた。彼の試合を6試合ほど観たが、こんな凄えのは初めてだった。この大会におけるベッカムへの評価はかんばしくないが――実際にPK2発の失敗はあったが――彼のプレーの質は、来たるべきイングランドの新たなシステム確立へと向かっていた。本当にベッカムは凄いプレイヤーだ。そんなベッカムが常にみんなを鼓舞し、尋常ではない闘争心を剥き出しにし、時に尋常ではない怠慢なプレーをわざとし、そしてPK戦に向かう時は自然とキーパーの横に位置し、肩を持って優しく語り掛けていた。それだけで芸術的な弧を描くパスをあげるフィーゴよりも、ウマ並に鼻の穴を広げて走り回るルイ・コスタよりも(アイツって、アレが凄えデカそうな顔してるよな。絶対に凄いぜ)、ベッカムは運命を手にする切符を手にしていた筈だ。しかもルイ・コスタはピッチにケツを押し付け顔には両手で現実と向き合っていない。決定的だったのは6人目に入る時だった。通常5人なので6人目にまで突入する時は若干の確認の時間が設けられる。そこでルイ・コスタは遂に立ち上がった。おうっ!と個人的に盛り上がった―――僕はこの極限状態の中、ふたりの一挙一動にばかり釘付けだった―――が、そこでルイ・コスタがとった行動は(ベンチに向かって)「おい、水をくれ」だった。そして勿論自分だけ飲んだのだ。もう、これが決定的だった。しかし……………………その直後にポルトガルの勝利は決まった。
シュートを止められた瞬間、さすがに気を失いそうに落胆したイングランド・チームの中で、ベッカムはすぐに肩を外して帰ってくるバッセルのほうに向かい、その肩を今度はバッセルに掛けてみんなの元に戻った。「おう、お前が外してくれて俺は本当に助かったよ。帰りの飛行機、ふたりっきりで帰ろうな、な?」と言ってたんじゃねーかという冗談が生まれるほど、僕は不覚にも涙を流してしまった。これがサッカーなのだ。だから、離れられないのだ。僕はこの20年、ひとりで旅するのはサッカーを観に行く時だけだ。でもそれはこれからも度々続くのだと思う。物語は必ず生まれる。神様はいないが、ご褒美は何処からともなく現れた神様という名詞をもった何かによって授けられる。しかし―――それがすべての結果にはならない。物語にも神様にも牙を向く、それがサッカーのリアルという物語だ。忘れられない試合をここで観られたことを、自慢したい。勿論自分自身にだ。この試合を観に行ける僕の人生の転機という演出にも感謝したい。
このままじゃ帰れない。広場に向かった。向かう間、街は完全に狂っていた。夜中だというのに、すべての車は(本当にすべてだ!?)窓を開け、叫びながらクラクションを鳴らし続け、暴走に等しい軌道を描いていた。道には子供が出て踊り狂っていた。何処でもだ。朝の5時にホテルに帰ったが、近郊の朝の5時でもまだ子供は狂って踊って車はクラクションを鳴らして暴走していた。僕には計りしれない凄いことが、国民にとっては起きてしまったのだ。広場もそうだった。無数の人間が集まり、ただ「ポルトゥガ〜ル」という雄叫びを連呼しながらモッシュしているだけ。それだけで延々朝まで。新種のドラッグの試し食いの場かと思ったよ。それをずーっと目撃しながら、僕はルイ・コスタと同じポーズを取りながら、何杯ものビールを(勿論アルコール入りだ)浴びた。タバコもなくなった。10本はとられたみたいだ。ぼーっとしながら、自分にとってこの試合の結果は「敗戦」だったことにようやく気付かされた。ポルト・ワインがしみたイングランドのバッタものシャツと同じように、僕はとてもわびしい気持ちで狂騒のど真ん中にいた。