Belle & Sebastian『フルキズ・ソングス〜アーリー・シングルス・コレクション』(ベストAL/ライナーノーツより)

photo イギリスではロック・リバイバルの波が大きなうねりを見せているが、これは新たな価値観によるロック・ミュージックの在り方が示された動きだと、僕は思っている。何故ならば90年代に入り、ロックは一度止まったからだ。誤解を恐れずに言えば、ロックは一度役割を失ったからだ。その上で今、ロックは「大衆音楽の地」へ帰ってきたからだ。
 90年代のアシッド・ハウス・ムーヴメント以降、ケミカル・ブラザーズやファットボーイ・スリムから始まりベースメント・ジャックス、そしてイビザ・トランスや2ステップの流れは、完全にロックを喰っていった。ストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズなどのマンチェスター勢が「ライヴ」の現場から降りて、「パーティー」をロックに持ち込んだ辺りからいろいろなことが雪崩れ式に起こったが、そもそも闘う相手が見えなくカウンターを打つ角度が見つからないロックが、オアシス以降タレントさえも失っていくのは必然的なことだった。さらにイギリスでは右肩上がりの好景気が続いた結果、浮っついたテンションを表わすものとして音楽が機能していった。つまり、「世界を変えるための音楽=ロック」ではなく、「世界を満喫するための音楽=楽観的な大衆音楽」が求められたのだ。その結果、90年代の中盤まであんなにも醜くハゲばかりだったクラブ系のミュージシャンやDJが、2ステップの頃にはアイドル顔にまで進化していき、そしてロックはみんなモグワイのスチュアートのように………いやいや。要はあの時代のスター候補生が目指した世界は埃だらけのライヴ・ハウスではなく、ミラーボールの下にセレブが集うクラブだったということだ。
 しかし。所詮クラブ・ミュージックのDJ社会からは有能な音楽家や楽曲が乱発される筈もなく(一発の威力を示すアンセムは作れるのだが、何曲かでデカい世界観を描くアルバムを作れる成熟したアーティストはなかなか輩出されないからだ)、ここに来てポスト・パンクのいろいろな流れ(ピュアな最新型パンクからパンク再評価、そしてニューウェイヴの焼き直しとしてのディスコ・パンクなどなど)や、ブリティッシュ・トラッドなメジャー感の溢れる「ルックスの良い」ロック・バンドが登場してきた。ロックはもう一度、役割を取り戻したのだ。しかし―――その役割って何だ?
 相変わらず景気はいいままだし、中東問題に対してのスタンスに象徴されるように、今のイギリスは全てに対して曖昧だ。その曖昧さに殆んどの人が疑問すら感じていない。そんな中でのロックが鳴らす意味は―――「再評価」しかないと、今のロックはとても冷めた視線で語っている。つまりロック自体が「メディア化」されているのが、今のブリティッシュ・ロックのメインストリームだ。闘わず、暴れず、それでも音楽的にはメロディーが素敵で(実は80年代ニュー・ウェイヴの肝は歌謡的なメロディーだったのだ)、派手で、無垢なエネルギーの発散とスター・システムに対するバランス感覚―――今までもロックは再評価というパンドラの箱を引っくり返し続けてきたが、今のそれはとてもシリアスだ。何故ならば「闘わず、カウンターを打たず、80年代のように退廃に逃げることもなく、勝利をおさめる大衆芸能としてのロックの新たな確立」への挑戦だからだ。そこで求められるものはただ一つ、「美しくも純粋な、絶対的に素晴らしい音楽」だ。2005年以降のロックよ、もっともっとそれを僕らに降り注いでくれ。早く――――。

 随分と話が逸れてしまったが、これはベル&セバスチャンの編集アルバムである。ラフ・トレードの前に彼らが在籍していた「グラスゴーの良心」とも呼ばれるインディペンデント・レーベル:ジープスター時代のシングル・コレクションだ。当時のベルセバはアルバムにシングルを絶対に収録しないという「鉄の掟」が存在していたので、このシングル・コレクションは彼らの貴重な初期の煌きを真空パックした宝物だ。待ち続けていたものじゃないが、実際にドロップされると何より大事な一枚になってしまう、そういうものだ。何故ならば、これこそが「美しくも純粋な、絶対的に素晴らしい音楽」だからだ。
 知っている人もいるかもしれないが、去年の暮れに「ベスト・スコティッシュ・バンドはどれだ!?」というファン投票が、スコットランドの雑誌とBBCスコットランドの旗ふりによって行なわれた。その結果、トップをさらったのが何と、ベル&セバスチャンだった。これが5年前に行なった投票だったら話もわかるのだが、2004年にベスト・スコットランド・バンドにベルセバが選ばれるのはどう見ても意外だ。新進気鋭のフランツ・フェルディナンドでもなければ、牢名主として未だ君臨し続けるティーンエイジ・ファンクラブでもない。何故ベルセバが2004年に「スコットランドの顔として、ロック栄誉賞」を与えられたのだろうか?
 まずは、とても興味深いランキングをここに記す―――。

1 Belle&Sebastian
2 Travis
3 Idlewild
4 Wet Wet Wet
5 Sensational Alex Harvey Band
6 Simple Minds
7 Teenage Fanclub
8 Bay City Rollres
9 Primal Scream
10 The Proclaimers
11 Texas
12 Mull Historical Society
13 Big Country
14 Snow Patrol
15 Franz Ferdinand
16 Bis
17 Deacon Blue
18 Fish
19 Jesus and Mary Chain
20 Mogwai
21 Runrig
22 Trash Can Sinatras
23 Del Amitri
24 Orange Juice
25 Nazareth
26 Beta Band
27 Biffy Clyro
28 Altered Images
29 Aztec Camera
30 Eddi Reader
31 Goodbye Mr Mackenzie
32 Fire Engines
33 Delgados
34 Arab Strap
35 Vaselines
36 Associates
37 The Pastels
38 Eurythmics
39 Aereogramme
40 Blue Nile
41 Boards of Canada
42 Rezillos
43 Incredible string band
44 4Cocteau twins
45 Dogs Die in Hot Cars
46 Spare Snare
47 Average White Band
48 Lulu
49 Skids
50 Shamen

 今更ながら、アイデンティティー高き思想性と音楽性を抱くアーティストを輩出するエリアとしてのスコットランドに敬意を深めると共に、「自分だったら――」というツッコミを入れ始めたら三日三晩じゃ済まないランキングとなっている。このベスト・バンドの称号を授かった時、スチュアート・マードックは目を点にしながら、「信じ難いことだ。自分自身、ベルセバがベスト・スコティッシュ・バンドだとはとても思えないんだ」と困惑し続けたという。これだけのメンツを前にベルセバが栄冠を勝ち獲るというのは、彼らのディープなファンが未だ根強い人気を支えているからに他ならない。

 このディスクを手にした人の多くは、ベルセバを自分のロック・ライブラリーのbPに置いていることと思う。―――まさにそれなのだ。極端な言い方をさせてもらえば、ベルセバを好きな人は彼らが絶対的な1なのだ。裏を返せば、1でなくなることはイコール、ベルセバを卒業するということだ。それだけ濃密な「一対一の関係」、それがベル&セバスチャンと僕らの関係なのだと思う。鳴らす人と聴く人の間に何かが介在することをこれだけ拒む無菌音楽は、この10年間の中にはなかった。それが彼らの神秘であり、アナーキックさであり、リアルそのものだ。だからこそ彼らは、この名誉あるランキングのトップを得たのだろう。
 取材をやらないだの、教会の牧師だの、ボクサーだったがそれは下手で実はサッカーが上手いらしいだの、バス(乗り物のね)・オタクだの、多くのミステリアスを抱えていた(殆どがスチュアートに対するものだが)かつてのベルセバではない今、彼らが支持を受ける最大の要因は「憧れたいほど純粋」な存在のまま彼らがいる、ということだ。時代と、資本主義と、愚かさと、愛なきリスナーに消費され、ロックは「被害者としての凱歌」を放ち続けてきた。しかしベルセバは一切の安易な消費や共有を拒みながら、純粋で透明な音楽を守り続けてきた。本当の愛を守るということは、世界を敵に回すようなものだ―――そんな殺傷力さえ携えたラヴ・ソングを鳴らすこと。それこそが彼らの闘いだったことを、僕らは知っている。純粋でいること自体が時代に対する反抗だったからこそ、ベルセバの静寂やピュアネスは「過激」だった。
 今、闘う相手が見えないまま発火しているロックの矛先は、優秀なメロディー、普遍性に耐えうる楽曲へ向けられている。いいメロディー、永遠に近づきたい楽曲―――それ自体が目的となりつつある時代の中で、曖昧さと愚かさと汚らわしさに向かって闘い続けてきたベルセバの「結果としての素晴らしきメロディーと普遍性」の強度がいかほどであるのかは、ずっと聴き続けてきたあなた、そして今まで知らなかったにも拘わらずこんな雑種の時代の中からこの宝物を見つけたあなた、そんなあなた方が一番わかっていることと思う。こんな時代にこんなにも透明な音楽が聴ける僕らは、充分幸福だ。
 このアルバムの中におさまっている楽曲を放っていた当時の彼らは、まだいろいろな副業を持ちながら定期的に集まって音楽を創り続ける「コミュニティ」だった。家族のような、かけがえのない時間を過ごしながら創り上げた結晶、それがこのアルバムの中に詰まっている。
 色褪せない思春期があることを、この「古傷」が教えてくれる。

                      

Last Update : 2005年05月25日 (水) 18:34


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