素晴らしいラヴストーリーの映画より、雄弁なラヴソングより、
愛に満ち溢れたレイ・ハラカミという名の電子音楽がある
このライヴがレイ・ハラカミ初のワンマン・ソロ・ライヴだなんて、信じられない。だって、レイ・ハラカミの音楽は、とっくに完成されているのだから。「はい、一丁上がり!」なんて完成ではなく、知性と野性のバランスが見事に取れた美人のような完成度。そんな「音楽美人」=レイ・ハラカミの初のワンマン・ライヴが開催される。この日この夜、日出ずる国にもこんなに圧倒的な電子音楽家がいることに感動するのは間違いない。
言語を超えたエレクトロニック・ミュージック。ポップの概念を超えた、心臓とダイレクトに振動する電子ポップ。ハラカミの音楽は奇抜なのに、人を選ばず誰とでも会話をする。何故ならば、ハラカミは電子から発される音と会話し、その会話を音楽にしているから。そんな「ハラカミとサウンドの朝までトーク!?」が、この夜に繰り広げられる。
レイ・ハラカミのライヴは、とても生々しいライヴだ。何せ「林家三平」の如く絶妙なボケ・トークと、深海にどんどん突っ込んで行く音像が交互に織り重なりながら別世界へ誘うのだから。一音のズレさえも許さないのにMCになった途端に「街の名物おばちゃん」のようになる矢野顕子と、メンバー同士罵り合うことさえ厭わずに音楽だけをストイックに高みに昇らせるライヴを展開しながら「鉄道と食い物」の話になると目尻を下げてとどまることを知らずに語り合うくるり。ハラカミは、そんな部分で矢野顕子やくるりとアメーバのように繋がり合っている。この間合いは大切だ。レイ・ハラカミのライヴがまるで「音の紙芝居」を見せられているような気になるのは、ハラカミという人間の生き様が「音」とMCの両方からこぼれ落ち、絶妙のボケとつっこみを一人で演じるからだろう。要するにレイ・ハラカミのライヴは普遍的な芸能性を醸し出しながら、今の世界を音でスケッチするものなのだ。もう、最高なんだよ。
レイ・ハラカミのライヴの現場を喩えるならば、「UFOと出逢って心を奪われたようなオーディエンスの、呆然とした顔が並ぶ集会」のようなものである。真綿が飛び交い浮遊するサウンドと、トントンと肩を叩くようなキックのリズム。それらが催眠術のように僕らの心を吸い取り、ハラカミの音像と僕らの心の結晶がライヴ空間を至福で満たしていく。とても素敵な空気がひょこひょこと漂う。そこにハラカミの「え、どーも、ハラカミです。ただ今絶賛盛り下げ中です!」というミもフタもないMCが浴びせ掛けられ、そして僕らの催眠術は解かれる―――。何て贅沢なスペクタクルなんだ!?
一度味わえばわかるはず。レイ・ハラカミのライヴは空中遊泳でもあり、水族館巡りでもあり、音のプラネタリウムでもある。これはまったく新しいライヴ・ファンタジー。薄っぺらい万博に並ぶぐらいなら、この日この場所でハラカミに心を奪われてみてください。