どんなに綺麗な花も、種から芽が出て葉が伸び続ける時は何が咲くのかわからない。どんなに素晴らしい油絵も、キャンパスに隙間がなくなるほど筆が走って初めてその絵画のメッセージが伝わる。愛する者も政治家も何もかも、みんなそうだ。本当の素晴らしさや醜さは、植物で言うところの花が咲く頃まで何もわからない。
音楽も本来は、何が生まれてくるのかわからないゾクゾクするほど素敵なアートの筈だ。このバンドはどんな音楽を鳴らすのだろう? このアーティストはどんな進化を遂げながら、聴いた瞬間に震えが止まらないようなアンセムを作り出すのだろう? そんなの最初っからわからないし、わからないからこそ素晴らしいのが音楽や、音楽家や、アートだ。
しかし。最近はデビューした頃から完成形が見えてしまう音楽や音楽家が本当に多い。「こんなパンクがやりたいのか」「あー、こういうの聴いて来たんだな」「おっ、自分が持っている機材と全く同じ音がしてるよ、このアルバム」―――そんな音楽が、本当の花を咲かすことなど出来る筈がない。本当に鳴らしたいソウルがあるわけがない。
そんな、ただただお上手なだけの音楽が鳴り止まない日々の中、フリーノートのファースト・アルバムがドロップされる。
結成時の何となく活動していた頃の曲から、2005年になってから生まれた曲まで、バラッバラなテンションと音楽性の楽曲が並んでいる。あまりにも無防備にバンドのヒストリーを曝け出しているファースト・アルバムだ。生きている確信や根拠が見えなくて、手探りで自分探しを始めた頃の曲は、あまりにも手探り過ぎて音楽が宙を彷徨っている。しかし、孤独に震える自分を嘆く歌声が地を揺らすようなバラッド“Re:チャンネル”。「夢を見なくとも明日を迎えることが出来る僕らは、生きている実感を自分で手に入れねば存在する意味がない」というメッセージと、ジャズとオルタナティヴとハード・スピリットで音を鳴らす衝動がぶつかり合う“ウォークメン”。メロディーが心と心を繋いでは離し、ビートが心の旅のアクセルを踏み続けると唄う音楽賛歌を、軽やかなグルーヴに乗せてリズミックな4つ打ちを響かせる“ボクラリズム”。―――どんな果実が宿るのか全くわからないが、毎日その変化と進化を見届けながら水を授けたくなるような樹木のような、神秘的でいながら強靭なオーラを発する楽曲が潜んでいるアルバムだ。
既存の音楽を壊しながら、斬新な破壊衝動やラジカルな方法で音楽を鳴らす人達がアンダーグラウンドにはいる。それも最高に鮮烈な音楽の在り方だが、フリーノートは所謂3分間ポップの中にロック・バンドのマジックを降り注ぐことによって何を生み出せるのか? どれだけ「自己否定の扉を開くことによって手に入れた優しさと勇気」を伝達することが出来るのか? というテーマと格闘している。そのガラス張りの潔い意識が新鮮だ。
LOVE&PAIN―――「PAINなきLOVEを唄うのがポップスで、LOVEなきPAINを唄うのがハードコアなヒップホップやアンダーグラウンドの力だ」と語っている人がいた。そんな屁理屈、どうでもいい。LOVEもPAINも容赦なく駆け巡っているのが僕らの「生」だ。そんな僕らにダイレクトに響く音楽は、LOVEからも、PAINからも、メロディーからも、ビートからも、目を塞がずに生み出されるべきだ。
このファースト・アルバムでのフリーノートはまだ未完だ。しかし。いろいろな感情を素直に出し、いろいろな音楽性に果敢に挑戦しながらもポップな音楽であろうとする4人は、あらゆる花を咲き誇らせる可能性を高々と鳴らしている。このアルバムの中には、何かが咲き誇る前のワクワクするような鮮烈な希望と苦悩と至福感が溢れている。何からも逃げず、目を塞がず、新たな雑種としての「音楽の花」を咲かせる第一章が響いている。