繊細なのにえらくゴツいロック・アルバムが生まれてしまった。
―――先に言っておくが、このアルバムの中には新しさ、ラジカルさ、そういうものは何もない。4人のメンバーがフェロモンをプンプン出すわけでもない。徹底的にハードに攻めて、徹底的にセンチメンタルに打たれて、徹底的にロックを鳴らすことを楽しむ。それをもうグショグショになるまでやってやってやり抜いて、またやる。それだけ。それが「知っている人達がやっている、知らないバンド」モーターワークスだ。そんなバンド、今までのこの国ではハイロウズぐらいしかいなかった。凄えロック・バンドにしか描けないロック・ランド、そんなロマンチックでハードな世界がこのアルバムの地図の中で広がっている。
一言で喩えるなら、パワー・ポップである。ビートのハンドルをガンガン振り回し、頭からっぽにして楽しむドライヴィング・メロディー。うごめく街の中で孤独しか感じない混沌と哀しみを嘆くように綴るメロディーとギターのハーモニー。その相反する2つの世界を紡ぎ合わせて、リスナーのパーティー・タイムとベッド・ルームの両方に攻め込んでいく音楽、それがパワー・ポップ。チープ・トリック、ティーンエイジ・ファンクラブ、ウィーザー等々、素晴らしいバンドがパワー・ポップを鳴らした。その祖先にはビートルズやザ・フーなどがうごめいている。モーターワークスもここにエントリーだ。パワーに溢れたポップなロック、このアルバムはまさにそんな内容になっている。世代も性別も超えて楽しめるロックンロール、間違いなく彼らの狙いはそこにあった筈だ。
スピッツのメンバーと元L⇔Rのメンバーが結成したスーパー・バンド―――そんなデリカシーの欠片もないコピーが新聞に躍ったらしい。だが、それはそれでとても重要なことだ。別に田村や黒沢だけでなく、石田も即完横浜アリーナ・ライヴで華々しく散ったメロディーと衝動の奴隷ユニット=スパイラル・ライフの片割れだし、ホリくんはみんなの心にサンサンと降り注ぐ太陽だ―――違った。どのバンドに参加しても必ず硬いグルーヴを生み出し、まさに屋台骨の役割を全うするドラマーの中のドラマーだ。つまりこのバンド、馬力が違うのだ。単純な話に戻すとわかるだろう。素晴らしいポップ・ソングを書いて歌ってきた男(黒沢)と、メロディーとサウンドのハーモニーに苦心しながらいつしか名プロデューサーになっていた男(石田)と、この国を代表するポップ・バンドのリーダーにして暴走役を1人で引き受ける男(田村)と、みんなの太陽(ホリ)である。ヘタすりゃビートルズよりバランスがいいし運命的だ。
どうせインタヴューしても、「とことん楽しんでやっただけですから。楽しみ上手なバンドです」としか言わないだろうが、もう僕らは楽しんでロックすることが楽しいだけじゃないことを知ってしまっている。そうじゃなきゃ、ミッシェル・ガン・エレファントやザ・イエローモンキーが何故散ってしまうのかが永遠にわからない。そうだ、ロックを楽しむためには獲得せねばならない経験や勝利や運命や忍耐が絶対にあるのだ。モーターワークスの4人はそれぞれのやり方で勝利を獲得し、挫折を経験し、そんな「お土産」を持ち寄って始めたロック・バンドだ。だからこのバンドはどっしりしているが、タフだし鋭利だし暴力的に美しいフレーズを何個も抱えている。
トップ・チューン“The Slide”を聴くと「何だ、このハードなロックは!?(ハード・ロックではなく、ハードなロックだ。この違いはポップスとポップ・ミュージックぐらいのどえらい違いだ)」と、頭蓋骨に砂をかけられた気になるだろう。そして最終章“The End”は、本当の名曲はつべこべ言わず、ぐるぐる動かず、一発のフレーズとキレで途方に暮れるほど泣かせるものだと諭してくれる。時折モータウン・サウンドなどブラック・ミュージックからの影響がグルーヴや歌から響いて来るが、その完成度は本当にエモ―ショナルだ。あぁ凄え楽しい、これ。
野球のオリンピック代表にとっての長嶋監督のような、「この人のためなら自分のエゴなど糞喰らえで、勝利のためにすべてを捧げる」という存在がモーターワークスの4人にもあるのかもしれない。それはきっとロックンロールの神様だ。いるのだ、ロックンロールの神様は。だからこんなロック・バンドやロック・アルバムが生まれるのだ。
最後に、やがて湧き出てくるであろう言葉を先に代弁しておく…………「この1枚で終わらせたら承知しねーぞ」。