岡村靖幸『Me-imi』(AL/宣伝原稿より)

photo 岡村靖幸は自分の音楽を語らない。

 彼はセルフ・ライナーノーツを一切やらないアーティストだ。この後に続くインタヴューや彼の語録を読んだ方ならわかるが、岡村は非常にキレのあるスポークスマンだ。メジャーな話題は深く推考し、マイナーでハードコアな話題はエンターテイメントのまな板の上に乗せて語る。しかし岡村は、悩めるポップ・プリンス我らがやすゆきチャンは、自らの音楽を言語化しない。

 いきなり9年ぶりの待望のアルバムとは関係ない話のように思えるかもしれない。しかし。このことは岡村の音楽の根本を言い表している。矢沢永吉が自分のことしか語らないのと同じように、岡村靖幸が自分の音楽を語らないのは、もうそれ自体が彼の音楽の神秘性やビッグさを言い表している。岡村靖幸の音楽は意味や解析を超えたところで作られて、鳴らされて、僕らの耳とカラダに無邪気にぶつかってくる。まるで、体格のいいガキが笑顔でぶつかってくるような、ヘタしたらこっちが骨折してしまう無邪気な怪力で音を生み出す。そこに意味やへ理屈は不要だ。というかそんな圧倒的な衝動を前に意味を語るアホは一人でチンコをいじり続けてろってことだ。もう、本気でじゃれ合うことによってしか関係が成立しない音楽。それが岡村靖幸という名の禁断のポップだ。

 圧倒的なのだ。岡村靖幸ほど、圧倒的なアーティストはいないのだ。こんな断言をさせるほど圧倒的に岡村靖幸でしかない凄まじくも素晴らしい音楽は他にないのだ。岡村靖幸以外にも素晴らしいアーティストはたくさんいるが、岡村靖幸を感じていると他はいらない、もうずっとやすゆきチャンとだけ一緒にいたい、と思うのだ。それは大きな間違いだ。絶対にそんなことはないからだ。でもそんな間違いを起こさせる音楽を彼は描き続けてきたのだ。凄いことだ。だからこそ岡村靖幸にもう一度表舞台でぶちかまして欲しかったのだ。そして彼は9年ぶりのアルバムを抱えて帰ってきた――。

 何故圧倒的なのか? ここで宇宙とかマグマとかパンドラの箱とか六本木とかを持ち出して形容しても説得力がないので、ちょっと解析させていただく。

 岡村靖幸のビートの強さは圧倒的だ。R&Bやテクノがここまですんなりこの国に入ってこなかった時代から今の今まで、ビートというのは「鳴らす」ものではなく「打つ」ものなのだ、ということを音自体で証明しているのは岡村靖幸だけだ。いや、岡村靖幸とプリンスだけだ。このアルバムの中枢を担っているファンク・ナンバーも、威圧感と打撃技の応酬だ。

 そして岡村靖幸のバラードは圧倒的だ。ボクがいてアナタがいることがこれほど切ないものなのか……岡村のバラッドはドリーミンなフリをしながら現実の中で何かを失うことを激しく嘆いている。岡村は昔から、ライヴやテレビ番組で歌謡曲をピアノで弾き語ってバラードしていた。すると歌謡曲はいとも簡単に岡村靖幸のバラードに変わった。どういうことだ? 岡村の音楽が歌謡曲と同じ「人を選ばない」プロフェッショナルな旋律によって構成されているからなのか? はたまた岡村靖幸がソウルを込めて歌唱すれば、それはメロディーすらも彼特有の喪失感に涙を流して岡村色に染まるというのか? そんなバラードを歌えるのは岡村靖幸だけだ。いや、岡村靖幸とレイ・チャールズだけだ。

 最後に、岡村靖幸の歌詞はバラエティー番組とニュース番組を合体させたかのようなメッセージとエンンターテイメントのセックスだ。彼はこの世界で起こっている謎や問題に徹底的に傷つき、そして悩んでいる。岡村靖幸は自分がわからないことが目の前に現われると、それだけで不機嫌を通り越してノイローゼになる。そんな気持ちを素直に綴りながら、でも彼の歌詞は僕らを必ず笑わせる。何故だ? どうしょうもなく真剣だからだ。滑稽なほど真剣に傷つき悩むからだ。度を超えた思想はいつの時代も笑いをもたらしたが、岡村はまさにそれを歌っている。そんな歌詞を歌うのは岡村靖幸だけだ。いや、岡村靖幸と長渕剛だけだ。

 この9年間、岡村は「スター」としては世の中に姿を現さなかったが、彼はいろいろなプロジェクトに参戦し、そしてシーンは彼を待望しトリビュートし続けた。前述したように岡村靖幸は圧倒的な存在で、あの迫力や胸を掻きむしる感触や無邪気な衝動は他では味わえないからだ。彼が悩み痛み傷ついた果てで生み出したファンクやバラードは、ひまわりのように派手に咲き誇る音楽となるからだ。ポップとはそういうものなのだ。一時、レコード・ショップへ行けば岡村靖幸の背中に出会えるってことがあった。彼は死ぬほど音楽を漁って漁って、もう彼の部屋も隣の住人も下の階にいた猿も管理人に詫びを入れ続けたマネージャーも悲鳴を上げて倒れるほど音楽を貪り続けた。そう、岡村靖幸はこの世の中のわけのわからなさに直面すると、音楽で解消、もしくは解決することしか出来ないアーティストなのだ。だから「やっぱ岡村しかいねーよ」と唸らせ踊らせるアルバムを作って帰ってきたのだ。「スター」なんて、こういうもんだ。

 刺激って何だ? 岡村靖幸とじゃれ合うってことだ。岡村自身はこのアルバムの中で今までのように世の中とじゃれ合うだけでなく、その世の中と自分との接点を歌っている。だからタイトルは『ME-imi』→『ミイミ』→『ミー=自分/イミ=意味』→『自分の意味』だ。ここでは悩みや、混沌や、行き着かない愛や、争いに途方に暮れる世界や、子供心がわからない、子供がすっかり影を潜めた社会が華やかに咲き誇っている。狂っているが、泣きそうなほど楽しい。

 岡村靖幸しかいない、それでもいい。ウソ。決してそんなことはないが、でも。岡村靖幸がいなくなるより、岡村靖幸だけがいたほうがいい。

Last Update : 2004年08月05日 (木) 13:08


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