最近、「お前は男の中の男だ」というセリフが流行っている。これはこの国においてロック・フェスティバルに次ぐブームとして定着しながら、ロック・フェスを遥かに凌ぐ勢いで隆盛を極めつつある総合格闘技PRIDEの統括本部長の高田がしつこいほど吐く決め台詞だ。オーディエンスの闘争本能を鼓舞するコピーとしてかなりの機能を発揮しているが、我々ロック馬鹿からすれば、こんな子供だましな鼓舞で盛り上がれるかっつーのというのが本音。というか我々はロックンロールという名の、ジタバタしながらかろうじて転がり続けた歴史の中で、必殺の男の壮絶にしてクールな転がり様を体感し続けてきた。格闘家のような間違いのない人生の中で地道に築き上げた実績をバネに、突然聴衆の前で「ウガァーッ!」とか叫ぶことが悪徳の象徴なお利口さんカルチャーとは違い、こっちは本当にセックス・ドラッグ・ロックンロールの世界に溺れながら、反射神経だけで作った音楽で天下をシャープに略奪してきたのだ。そんなロクデナシの一瞬の煌めきこそが、男の輝き方だということを証明する野郎、ショーン・ライダーが帰ってきた。何となくハッピーマンデーズを創り、グダグダ現れてグダグダとブリティッシュbPバンドとなり、何となく金を使い過ぎて何となくレーベル潰し、何となくいなくなっては何となく復活させ、時にブラック・グレープなんてバンド作っては結局ハピマンと同じ覚醒作用を及ぼし、いつもいつもドラッグ喰い続けて喧嘩して何となく楽しそうで、たまに再結成しては日本でもマニアをフジ・ロック・フェスで驚喜させ、本格的に復活だと言いながらあっけなく再び空中分解し、もう本当にシーンにいなくなって最早コカインのプッシャーにでもなってるんだろうなと誰もが思っていたショーン・ライダーが何の前触れもなく帰ってきた。しかもアルバム。僕はこの音をゲットした時、渋谷の街に繰り出してわざと群衆に肩からゴツゴツ当たりながら歩き回った。爽快だった。奴が帰ってくると聞いただけで、アウトサイダーの祝祭が始まった気がした。デニス・ホッパーが登場すると男が疼くのが映画ならば、ショーン・ライダーがモソモソしているだけで男が疼くのがロックだ。こいつが生きていること自体がパーティーなんだが、全く音沙汰なければ本当に死んじまってもおかしくないアブねー奴、それがショーン・ライダーという名のパーティーなのだ。
映画『24HOUR PARTY PEOPLE』で再燃されたマッドチェスター・ムーヴメントの一番ど真ん中でヘロヘロしていたのは間違いなくショーン・ライダーだった。こいつがいなかったらマンチェスターはあそこまでの狂騒を描かなかっただろうし、音楽的にもヒップホップ&ダブなストリート・スピリッツを鳴らすことは出来なかった筈だ。別に顔面が優れてるわけでもないし、最早デブだし。何でだ? 何故ならば、ショーン・ライダーは意図してロックをストリートに放り出したわけではなく、ストリートでのプレイの一つとして空気とマリファナ吸うようにロックし始めたのだ。そう、空気吸うのもマリファナ吸うのも同じ感覚、それがショーン・ライダーにとっての至極当たり前の自由だ。金がないから公園にスピーカー積み重ねて音を鳴らし、いつまでも踊って叫んで狂っていたいから、2枚の同じレコードを互いのターンテーブルの上で繰り返し回し続けていたヒップホップやレゲエ。それと同じ原理がハッピー・マンデーズやショーン・ライダーの生き方にはある。何にもないから自分たちでゼロから作り出すからっぽな快楽。盗みを重ね、その辺歩いてるババアをナンパしては一発キメて金をせがみ、そしてドラッグに明け暮れたハッピー・マンデーズの連中がまずバンドで目指したのは、アムステルダムからエクスタシーを大量輸入し、マンチェスターにまき散らして笑い狂う夜を過ごし続けることだった。そのためのロックだった。つまり、奴らは最高だったのだ。
マッドチェスター・ムーブメントはその後のブリティッシュ・ロックのあらゆる方向性の根っことなった。まずスタンダード・スタイルのロック・バンドはビンテージ扱いされ、アシッド・ハウスがメジャー・チャートをかき乱し、ケミカル・ブラザーズやプロディジーなどがアメリカまでをも手中におさめた。その一方でショーン・ライダー張りのラッディズムはリアム・ギャラガーに継承され、ニュー・オーダーのメロディ−・センスはノエル・ギャラガーに継承されビートルズ張りのおまけまで備わったオアシスという奇跡的なストロング・バンドを生み出した。一つだけ言えるのは、オアシスもアシッド・ハウスもすばらしいメロディーとすばらしいビートによって花が咲いたインディ・ポップ・ミュージックだが、両者とも音楽の背景にある時代感とアティチュードがモノを放っていたことだ。オアシスがただの流暢なメロディック・バンドでないのも、アシッド・ハウスがデジタルな機能的ダンス・ミュージックでないのも、すべてはそこに苛立ちと欲望と暴力的なまでのロマンティックが溢れているからだ。そんな巣窟のドンこそがショーン・ライダーなのだ。
それにしてもショーン・ライダーはフジ・ロックに登場してから今の今まで何をしていたのだろうか? まずはイギリス在住のテノール歌手、ラッセル・ワトソンとのコラボレートで『Barcelona』という作品を作っている。……のっけから面白いよなあ、相変わらず。大体、百歩譲ってもショーン・ライダーの歌唱力を批評の壇上に上げる気にはなれない僕らにとって、テノール歌手とのコラボというのは全く意味のわからないものだ。実際に作品も全くわけがわからないものだったし。ショーンがそのテノール歌手の弱みでも握って強引に作らせた気にしかなれない気の抜けた作品だ。しかし、相手はショーン・ライダーである。ノリだけで映画『アベンジャーズ』に出演し、へっぽこ役者デビューを果たした男なのだ。何でもいいんだ、この男は。逆に言うと、何にでも向かっていけるし何でも楽しく出来るのだ。そういうクズのような天才。もうわかっていると思うが、ショーン・ライダーは何をするかに真価を見出さないアーティスト、いや人間だ。何をするかではなく、何しろ「する」。DOに意義と意味を察知して行動する人間なのだ。だからしてテノール歌手なのだ。と強引にこじつけてみたがどうだろう? だって奴は役者の次に脚本家を目指し、スポーツ記者までやっていたのだ。もうわけが本当にわからない。しかし、やたらめったら羨ましい。そして次には以前にクビにした奴らから裁判をふっかけられ、簡単に負けて25万ポンド支払ったそうだ。法はショーン・ライダーの数少ない敵だ。ちなみに奴の裁判経験は片手では済まない、下手したら両手でもというレベル。マンデーズ、そして次に作ったバンド、ブラック・グレープでの踏み倒していた税金訴訟、カミさんからの嫌がらせのような訴え、もうそんなのばかりだ。毎日が刺激と軋轢に満ち満ちて楽しそうな男、それがショーン・ライダー。ここでマンチェスター・コミューンの先輩格ニュー・オーダーの、これまたラリ中アル中経験者バーナード・サムナーのハッピー・マンデーズ評を記しておく―――「あいつら俺と同じで、頭デッカチな音楽バカじゃないだろ。これが正しい曲の作り方だとか、これが上手い楽器の弾き方だとか、知識をひけらかすつもりがサラサラないじゃん。ただただめいっぱいドラッグをキメ続けて、ありとあらゆる女という女とヤるだけやって、人生を楽しみ続けたいだけだろ? でも俺はそれはそれで立派な人生観だと思うんだ」
ソロで復活の目的、それは間違いなく「金」だろう。金金金。1999年にフジ・ロックに来た時、ショーン・ライダーはアイルランドのダブリンに住んでいた。リゾートだ。でも今は再びマンチェスターに戻って家族と過ごしているという。しかも隣にはあの「べズ」の一家が住んでいるという。結局いつもそれだ。いつもべズから逃れられないショーン・ライダー。しょうがない、お互いに筋金入りのロクデナシなんだから。でも、べズの隣ってことはかなり安い家に間違いない。金、金、金が欲しかったのだろう。いいじゃん、それで。ピストルズだって、フーだってみんなそうだ。でもロックしているうちに別の欲望がグツグツ湧いてくる、そういうもんだ。
このソロ・アルバムのそもそもの契機は、ハピマン復活ツアーでオーストラリアを回った時に、従兄弟のピート・キャロルのスタジオを訪れた時にある。ビッグ・デイ・アウト(オーストラリア各地を移動していくサーカスのようなロック・フェス。毎年2月くらいに開催されるが、これがあるからそのついでに日本で一稼ぎというバンドが大挙してやってくる―――それが冬に大物来日バンドが多いことの真相)を終え、いつものようにグダグダしていたら、何となくスタジオで曲を作り始め、やがてビザも申請しなかったので国外退去になり、3年間の入国拒否をオーストラリアから受け、でも従兄弟のいたいけな尽力で再入国し、3ヶ月間かけて完成したのがこのアルバム。ちなみにショーン・ライダーはハピマン全盛期にありとあらゆる贅を尽くしたレコーディングをオーストラリアで繰り広げ、ロクに音も録らずにキメまくってるだけでファクトリーというクリエイションに次ぐ歴史的なブリティッシュ・インディー・レーベルを潰す最高殊勲選手となった経緯がある。今回は地味に従兄弟のスタジオでコツコツやったらしい、どーせ常にキマッっていたとは思うが………。
「シロウトとしての夜のトップに上り詰めっからよぅ!」という異訳も許されるアルバムは、オーセンティックなダブ色が以前より増しているが、基本はハピマンであり、ブラック・グレープであり、ショーン・ライダーってこんな奴としか言いようがない音楽だ。まあ年も喰ったことだし、キマリまくったオッサンがオーセンティックなダブに傾倒していくのは何の不思議もない。むしろ、一番違うのは「金かかってねーなあ」という感触を持たせることである。金がなくて一稼ぎしたくて作ったアルバムだからそれも必然なのだが、無駄に金をドブに捨ててる感じが満ちていた奴の過去の作品と比べると、かなり無駄がない。録音やコンピュータ技術の進化によってそう聴こえるのかもしれないが、どっちにしろタイトな作品だ。こう書くと盛り下がっているように感じるかもしれないが、そうじゃない。無駄がなくても奴は不良で、ヘロヘロで、危なくて、ドキドキするほどカッコ良くストーンする音楽―――つまりヤバいものを作ることが出来るのだ。それって凄いことなのだ。それこそ我らがショーン・ライダー、ということを否が応にも確認させられるアルバム。ロックから逃れられないものにとって、本当の福音とは案外こういうもんだと思う。
トラックはキャバレー・ヴォルテールをやっていたステファン・マリンダーも参加しているし、DJセットで行なっているライヴではべズがいつものようにヘナヘナ踊っているらしいし、まあショーン・ライダーは「相変わらず」だ。だから今後の予定も「相変わらず未定」。でもこれだけ人生に嵐が吹いて、というか自分から吹かせている男の「相変わらず」というのは、とてつもなく「ハードな相変わらず」だ。それをことも無げに楽しげにヤっちまうショーン・ライダーは、やはり男の中の男だ。これを聴いているあなたもこう思っているだろう―――「ついてくぜ、クズアニキ」。