「情感の死んだ奴らは俺たちが叩き起こすとしようか」―――
ロックに噛みつき、ダブに吠えるドギースタイル、
再び最凶の愛を響かせ
ここに登場
面白いことより面白くないことに振り回されるのも、
何かを得るより何かを失うことに気がふれるのも、
噛みつかれるより噛みつきたくなるのも、
そんなことクソすることより当たり前なことだ。
前向きさや信頼することが美徳や素直だなんて、一体誰が決めた?
そんなの盲目の極みだ。気持ち悪くて吐きそうだ。
ロックは、パンクは、ヒップホップは、ダブは、仮面を被ったウソの世界に孤独な「無垢」を叩きつけてきた。LOVEよりもPAIN、いや、本当のLOVEに溺れたいから、とことん傷ついて傷ついて傷つけても傷ついて………だからこそロックは激しくも哀しい音楽であり続けてきたのだ。
今やロック・バンドやるのもロック・ミュージック鳴らすのも、とてもたやすいことだ。
何がロックかなんて正解どこにもないし、ロックは誰の手にも入るコンビニ商品になったからだ。
しかし、そんなのまやかしだ。たしかにロックはコンビニで買えるが、本当のロックのエネルギーなんて何処にも売っていないし宿ってもいないじゃないか。
要するにこういうことだ―――「ロックする」なんてこと、この国において殆んど誰も出来てやしないのだ。
何故ならば、それは本当にヤバいことだからだ。
ヤバいかヤバくないかなんて判断出来ないほどヤバく生き抜いてサヴァイヴすること―――そんな無鉄砲で無垢な生き方はこの時代に必要ないし、求められてもいない。しかし、求められてから始めるものなんて、その時点で既にロックじゃない。そんなもん、ちっともロックしていない。
ドギースタイルを聴けば、「こいつら面倒くさそうだなあ。やっぱロックって厄介だよなあ」と誰もが思う。その通りだ。所謂ふつうなんてメジャーで測れる生き方や考え方していたら出ないような声やグルーヴやリリックばかりが聴こえてくるからだ。異様だし、異形だし、異常だ。何というか、心の中の一番弱い部分がサイレンを鳴らしているように聴こえる、遠吠えのような音楽だ。でもそれがロックだし、ダブなのだ。何にも頼れないし、何も信じられない。吐き気が止まらないほどの退屈に囚われてしまった世界に、「自分がここに存在していること」を伝える唯一のファイティング・ポーズ――それがドギースタイル。つまり「犬式」。
久しぶりの新曲が3曲、ここに生まれた。得体の知れない曲だと感じるかもしれないし、ダブのテンションという引き金に脅された気になるかもしれない。夏の終わりの祭りの狂騒が脳内に広がるかもしれないし、太古からのロックが激しくぶつかり合うエクスタシーに溺れるかもしれない。
何でもいいのだ。所詮は「ただの狂気の沙汰」なのだから。
ダブをやろうと、ロックンロールしようと、鉄壁の4ピース・バンドと見られようと、ドギースタイルは勝手に「ロックしている」だけだ。何処にも混じれないから少数で群れをなし、敵意しか抱けないから歌もギターもベースもタイコも吠えている。群れて吠えて、やがてそれがとことん楽しくなって狂ったようにすべてがテケテケ笑い出す。そんな「キちゃっている奴ら」だけの日常が踊りながら鳴り響く、そんな新曲だ。すべてが気に食わないから、はみ出して勝手な天国を作る。ジミヘンもグランド・ファンク・レイルロードもザ・フーも、そうやってぶっちぎりの狂気の果てをトレースしてきた。ドギースタイルもまた、ロックがロックであり続ける理由だけに拘って存在している原始的なバンドだ。フラストレイションから目を逸らさず、一点突破の音で全部カタをつける。冷めてもいるが、何より醒めている。そんな奇跡的なテンションのクソッタレ・バンドだ。
このマキシは「宣言にすぎない」とバンドは語っている。【情感、つまりセンスの死んだ奴らは俺たちが叩き起こすとしようか】――――“月桃ディスコ”に向けて綴った三宅 洋平の声明が、ある意味このマキシのすべてを言い表している。スタジオのど真ん中にマイク2本立てただけで一発録り(まさにワン・テイクだ!)したものもあれば、急にセッション始めて「おーい、今からやるの録っといて」といった2度と出来ない奇跡のトラックもある。時を忘れてぶっ飛んだ音の旅を、どうか楽しみまくって欲しい。舐めるように、鼻ですするように、この悪魔の戯れる音をまさぐって欲しい。どうしょうもなく騒いだ血が流したドキュメンタリーの1枚だ。くどいようだがロックやダブが鳴っているわけじゃない。ロックやダブの中に潜んでいる神秘や宇宙が鳴っているのだ。
このマキシを録り終えた直後から、4人はすぐさまアルバムを録り始めている。ぶつかり合って混ざったサウンドが、言い訳探しに明け暮れる世界を突っぱねるだろう。待つとしよう、さらなる狂騒が踊り明かす月夜の宴のようなアルバムを。
激しく揺さぶり合いながら、衝動以外に何も求めない狂おしいほど純粋な楽園がここにある。考えてみてくれ、ロックに連れて行かれたい奴らを連れて行ってくれるバンドが、今この国にどれだけいるのか? それだけでもドギースタイルは貴重だ。