JUN『Moon Risin'』(AL/ライナーノーツより)

photo これは最高に人を喰ってるアルバムだ。まるで、灼熱のサンパウロのビーチでガソリンをサン・オイル代わりに塗りまくりながら(勿論トップレス・ギャルに)「今日も俺は寂しいぞ、いぇい!」と踊り叫ぶような(勿論ステップはゲイ・ダンス風に)、そんな楽天的な破壊の匂いが立ち込めてくる。

………あまりにもレベルの低い喩えをしてしまったが、JUNの音楽は妄想のカタマリである。というか、妄想物語である。さらに言うなら、妄想ビート・セレナーデなんじゃないかと思う。狂ったメロディーのカーブの上で、転がらない筈の禁断のLOVEをピロピロ転がしながら、光らない筈の紫のダイヤモンドの星を輝かせながら、魔法のバブルのようなポップをふりまく。素晴らしく迷いのない、欲望に忠実な妄想の調べ。それがJUNのビートであり、メロディーであり、リリックであり、ハーモニーだ。とても素敵な幻だ。とてもイカした幻覚だ。だからどうしようもなく儚いし、サウナで寒さに震えるほどに寂しい。この音楽が止まったら僕はおしまいなんじゃないか? とさえ思わせる。いや、本当に終わってしまうんだろう。だから止められないし、JUNのダンス・ビートも止まろうとしない。JUNも寂しい妄想プリンスだからだ。おぅっ、そこが最高にイカしているし、イカれている。無上の妄想で、現実も人も喰って喰って喰いまくるケミストリー。あぁ、これが本当のケミストリーなのに。

 エレポップは、80年代の世界の欲望と衝動とフラストレーションを代弁した音楽だった。ロマンチックでセンチメンタルなのに退廃的で退屈そうに聴こえるのは、完全に時代のリアルだった。JUNが2004年に鳴らすエレポップは、今この時も僕らが虚無と退屈と向き合っていることを奏でる。しかし。80年エレポップが「退」であったならば、JUNのエレポップは「進」のビタミンをまき散らすものだ。そんなに前向きなわけじゃない。でもすべてを諦めているから束の間のパーティーで紛らわす「あの頃」とは、根本から違う。もっと、「こうやってぶっ飛んでドリーミーな時を過ごしたら、本当のLOVEが頭を下げてこっちにやって来るんじゃないか?」という包み込むような攻撃性がある。そこがとても鮮烈だし、アナーキーだ。

 アシッドハウス以降、90年代の電子音楽やダンス・ミュージックは、素晴らしいリズムや昂揚を僕らに投げかけてくれた。しかし、世界を見回してもアルバムというヴォリュームで傑作を生み出したものは片手にも及ばないかもしれない。リズムやクラブを言い訳に、音楽的な抑揚を描けないアルバムがあまりに多いからだ。それがハウスやテクノや電子音楽の限界や必然だと人は言う。―――冗談じゃない。JUNはこのアルバム全体で、妄想を雄弁に表現している。それだけのロマンスと物語、そして才能と欲望が彼の中にはある。そう、こういう奴がラヴ・ビート/ラヴ・ソングをベッタリ鳴らすのだ。踊るより、ねっとりとしたキスをしたくさせる。どーせ死ぬんだから、愛されるより愛すほうが興奮するじゃないかと確信させる。そんなぶっ飛んだダンスポップ(=エレポップ)は最高だ。しかもデビュー・アルバムだなんて最強だ。

Last Update : 2004年07月28日 (水) 19:36


-Copyright (C) Shikano Atsushi 2004 All Rights Reserved.-