
17時頃、スタジアムのある駅に着く。改札を抜けた所で多くの食べ物が売られている。前から食べたいと思っていた地元のトンカツ屋の「ソースかつ丼」を買って食べた。肉の厚みにトンカツ屋の意地が見受けられたが、味は全然美味しくなくて残念な結果に終わる。駅前では、6月8日(水)に平壌で行なわれる北朝鮮戦へのツアーのフライヤーが配られていた。ここでサッカー以外のものに「浮気」してもロクなことにならないと、不味いかつ丼が教えてくれた。
スタジアムまでの道を歩いていると、北朝鮮戦の時よりいろいろな面で緩い感じがする。単純に飲食屋台の数が多いし、カップルも多い。何より「子供」の数がやたら多い気がする。偶然なのだろうか? それとも、北朝鮮戦だからして子供には見せない、みたいなことがあったのだろうか…………。日本代表の置かれた立場で考えると、北朝鮮戦の時より今のほうがはるかにシリアスだが、少なくともそんな緊張感はなかった。屋台の中では「ハラミ弁当」がとても美味そうだったが、我慢することにした。何しろ今日は、朝から無意味に緊張しっぱなしだ。北朝鮮戦の時もスタジアムの周辺にベタベタ貼られていたメッセージ・ペーパーが今日もいたる所にあった。「本当の戦いはこれからだ!」―――このメッセージが一番リアルな気がした。
スタジアムに着く。北朝鮮戦の時は北朝鮮サポーターの導線が完全に我々と遮断されていたが、今回はそんなことはないので、まるで休日の公園のように周囲は穏やかだ。30人ほどのバーレーン・サポーターの集団がやって来た。大きな旗を振りながら、わけのわからん言葉で唄を歌い、替え唄にしてサビで「いちば〜ん!!!」と声を張り上げ、その姿を日本のマスコミとサポーターが取り囲み鑑賞している。つまり、とことん平和。
僕は小学校3年までしかサッカーをやっていなかったし、そんなに深く関わってきたわけでもない。しかし、今日がいかに特別な日なのかを体がわかっている。今日勝てなかったらどう考えても一歩も引けない崖っぷちに立ってしまうし、この12年間強の多くの敗戦の中で築き上げてきたものが泡になってしまうからだ。自分のサッカー観戦歴の中では、間違いなく「ジョホールバル決戦」の時以来の緊張が走っていた。あの時はすべてのサポーターがみんな完全に「躁鬱病」にかかっていた。盛り上がれる瞬間が見つかれば、ネジ巻き人形のように巻いて巻いて盛り上がり、それ以外の時はただただひたすら思いつめていた。ハタから見たらとても気持ち悪いゾーンに、殆んど全てのサポーターのテンションが入っていた。あの日以来の緊張が体をとてもダルく重くしている。ワールドカップに行けなかったらどうなると思う? 絶望が4年も続くんだぞ。ずーっとダルくなるんだぞ? そんなことばかり考えてしまい、なんかとても楽しくない表情でグルグルとスタジアム周辺を歩き回ってしまった。
スタジアムの中に入り、意味もなくトイレに10分座ってしまい、それからスタンドの最前列に行って、フィールドに選手が出てくるのを待った。出てきた。いい顔でみんな入ってきた。練習している間にそれぞれの選手の調子を窺おうとするが、よくわからない。宮本と中澤が気合いを前面に出していることや、ヒデが出過ぎず目立たず、相変わらずの飄々としたスタンスを守っていること、高原が若干体が重そうだったことと、逆にサントスが全開バリバリの童貞ボーイのようにしゃにむに動き回っていたことぐらいしかわからなかった。先発メンバーが二人ずつ組んでパスやヘディングの練習を始めた。ここでヒデが真価を発揮する。他のメンバーはみんな緩いパスを相手に送り、体をほぐすためにボールを蹴っている。しかし、ヒデだけが明らかに「人に優しくないパス」を出し続けているのだ。びゅんびゅんしたパスを送り、お相手の田中はキャッチするのに必死だ。体をほぐすだけでなく、センスをほぐすことも同時に行なっていたのはヒデだけだった。こういう時に、信用出来る男だということがわかる。
バーレーンの選手は足が長え。無駄に長くて持て余しているようにさえ見える。ストレッチやっている時も足が長過ぎてハードル選手のようだし、ドリブルしていても無駄にぎこちなく見える。何をやっていても飄々としているようにしか見えない。「今日はスポーツなんかじゃねえ、完全に闘いだ」と思っている人間としては、人を喰ったような彼らの動きに苛立ちを覚えた。
今回の“君が代”は森山良子だった。実際のことはわからないが、本人のメインのキーより2音ぐらい上で始めてしまったんじゃないかなあ。サビで凄まじい迫力の、ギリッギリの高音が鳴り響いた。いや、それがとても良かったのだ。芯が通ったというか、体全体が切実に歌っている感じがした。100%使って振り絞った歌、そのエネルギーが選手を鼓舞しているように聴こえた。その直後、遂にとんでもなく大切な90分間が始まった———。
ホームであることと、この試合の重要さを選手が感じまくっていることが如実にわかる序盤だった。正直、相変わらずチームの動きは流れが悪いし、連携も「感じてないなあ……」と思うことが多々あった。しかしそういうことよりも「前へ前へ」という姿勢が相手にきっちりプレッシャーをかけていて、その闘っている姿がとても信用して観ていられた。一緒に闘っているような、僕らの気持ちをピッチに運んでくれる気がした。しかし、何しろ勝たなくてはならないのだ。前半は全く点を取られる気がしなかったが、逆に全く点を入れられる気もしなかった。度重なるコーナーキックでも同じ作戦しか採らないし、ちょっと引いたいい場所にサントスと中田がいて(この二人のドリブルはとても美しかった。バーレーンの選手が腰の高いドリブルしか見せないので、極端に腰の据わった二人のドリブルはとても強そうだし美しかった)、そこに転がしてミドルからシュートを放ったら面白そうだなあとか、業が煮えまくることも少なくなかった。引き分けるには楽勝な展開だったが、勝つ道が見えないまま前半が終わってしまった。何てこった……………。
インターバルの時間、普通はサブ・メンバーがフィールドに出てきてボールを転がして体を温めるものだが、稲本や玉田や、すべてのサブ・メンバーが姿を現さない。勿論、バーレーンのサブはみんなフィールドにいるのに、日本代表だけいない。――――多分、全員ミーティングをやっていたのではないだろうか? とんでもなく濃いミーティングを繰り広げているのではないだろうか? きっとそうだ。―――再び信じる気持ちに火が点いた。
後半が始まった。前半は日本代表が攻めるゴール側にいたので細かいことにいろいろ気づいたが、後半は逆の方向に攻めているもので、ディテールがわからない。明らかに前半より機能している気がするし、パスの精度も上がっていると思うのだが、でも本当のところはよくわからない。よくわからないまま、相変わらずボールの支配率は高いし、コーナーキックも多いし、クロスもよく上がっている。しかし、ボールがゴールに刺さらない。段々苛立ちが募ってくる。周りのサポーターも、後半の20分を過ぎた頃から焦り出し、文句が口をつくようになった。そのピークは、高原が決定的なシュートを外した時にやってきた。ここに来てスタジアム内は一つの空気でまとまった―――「とんでもないことになってきたぞ………」だ。
しかしそのちょっと後に、運命のゴールが決まった。僕の位置からは、最初に高原が決めたように見えた。ゴールが宣告された後、高原を中心にして選手が喜び合っていたからだ。しかし、オーロラ・ヴィジョンに映像が流れると、そこでバーレーンのオウン・ゴールだったことに気付かされた。蛇足だが、オウン・ゴールを蹴ってしまった10番の選手はサルミーンという名前で、バーレーンの絶対的な中心選手である。年棒も一番高く、24歳にしてオールラウンダーとして国民的な英雄になっている「4年前の中田」のような存在だ。彼の運命は、この1点を機にどんな方向へ向かっていくのだろうか?
1点取った後、イラン戦と同じことを俊輔が行った。ジーコの下に駆け寄り会話をしたのだ。どう考えてもイラン戦と同じ質問を俊輔はした筈だ。「で、今回はこれから攻めるの? それとも1点を徹底的に守るの?」
まだ僕はテレビのインタヴューを観ていないのでわからないが、その後の日本はいつもと違う姿を見せてくれた。前の3人――鈴木と高原と俊輔――以外の選手は徹底的に守る意志と姿勢を見せつけた。これがジーコから俊輔へのアンサーによって行われたのかはわからない。しかし、現場で観ている限り、あの流れは選手から自主的に出てきたフォーメーションだと思う。自主的に「鉄の壁を作ろう」という意思統一がなされたように見えた。それがサポーターである僕らに伝わった。スタンドも必死に守った。バーレーンが攻めるものなら、気持ちを込めたブーイングと悲鳴をみんなで上げた。守備と攻撃の両方をこなす俊輔はどう見ても、ヘロヘロになっていた。その俊輔にも鼓舞する声と気持ちが、スタンド全体から送れていた。スタジアム全体が闘っていた。まさに総力戦だった。
勝った。快勝でも何でもない、まさに辛勝の極みだ。ホームであること、バーレーンの力、いろいろ考えるとこの自ゴールなき勝利は、未だ日本代表の調子がかなり落ちていることを示した試合だったと言えるだろう。評論家の事前予想の中でダントツに多かったのが、「2対0で日本の勝ち」だった。2点は入れられるだろうし、バーレーンは日本のゴールは割らないだろう、という説得力のあるデータだった。しかし、実際には自ゴールはゼロだったし、日本のゴール前で息を呑むことは多々あったのだ。その中で勝てたこと。選手自身の意志が一つになって最後の10分を守りきったこと。そこに成果があった試合だった。イラン戦からの教訓は確実に活かされていた。選手は一人一人が「武器」になっていた。
この勝利は大きい。まだ日本代表は弱い。しかしここから2ヶ月の猶予がある。ジーコは毎週Jリーグを観て欲しい。そして、確かな選手に対するイメージを持ち、ジーコとしての戦術を選手の中から見出して欲しい。前半戦はホーム2試合のアウェイ1試合だったが、6月からの後半戦は逆だ。今日、同じく行われた北朝鮮での北朝鮮Vsイラン戦が大変な乱闘になったため、平壌で予定されている北朝鮮戦は大幅なアレンジが入るかもしれない。別の場所、もしくはスタジアムの中が空っぽな試合、もしくは出場停止…………。わからない。全てはわからない。バーレーンのニュースはサルミーンのオウン・ゴールで負けた試合を、「自分の首を自分で絞めたような試合だった」と吐き捨てるようなセリフでアナウンスして放送した。まさにその通りの結果かもしれないが、日本はそういう報道は絶対にしないだろう。北朝鮮にしろ、バーレーンにしろ、それだけ価値観が違う国同士で闘うのがワールドカップの予選だ。つまり、何もわからないのだ。だからこそ、自分らが強くあり、大きなイメージを持ち続けることが大事なのだ。だから今日の勝利のイメージも、また大事なのだ。