2008/05/17 (土)

ラルクのパリでの勝利とは、一体何だったのか?









 パリまで行った日本のファンや、パリ在住のL’Arc〜en〜Cielのファンや、たくさんのみんなからのメールをもらいました。ありがとう。日本からパリまで観に行き、そのままパリのファンと仲よくなり、結果、朝までカラオケで一緒にL’Arc〜en〜Cielを歌いまくるという、キテるエピソードまでありました。俺、そこ一緒したかったわ。
 多くの人から、新聞広告のことについて書かれていた。みんな不安になっているらしい。

 僕が言うのもなんだが、L’Arc〜en〜Cielはこの東京から大阪へわたるドームツアーが終わると、L’Arc〜en〜Cielの活動を緩やかにしつつも、平行して各メンバーが自由な活動に踏み込んでいくという話だ。HYDEがK.A.Zと結成したユニット「VAMPS」の動きを見れば、おおよその想像はつくことと思う。となると必然的に次は2011年までライヴを行わないということなのだろう。
 ちなみに新聞広告にもあったが、L’Arc〜en〜Cielは夏に“NEXUS 4 / SHINE”という両A面シングルをドロップする。途中の段階の音をレコーディング・スタジオで聴かせてもらったが、2011年のライヴではきっとピークタイムに鳴らされるであろう、メロディとビートが最もポップな場所でKISSしているような曲だった。アルバム『KISS』での瑞々しいポップネス、そして数々のツアーでの大胆にしてアグレッシヴなパフォーマンスを経てのシングルは、バンドが一切のブレーキをかけずに疾駆し続けていることを告げているようだ。
 今回のパリでの彼らのライヴを体感して感じたことはとても多い。と共に、果たしてこの状況が適切にみんなに伝わるのだろうか? と、その難易度の高さを感じたのも事実だ。それほどまでにパリでL’Arc〜en〜Cielは熱烈な歓迎と、その歓迎を超える熱狂を実際のライヴで描いたからである。僕の世代でないとリアルさが伝わらない引用だが、ベイシティ・ローラーズやクイーン、そしてデヴィッド・ボウイやデュラン デュランなどが来日した時に近い狂騒が、パリのL’Arc〜en〜Cielの周りでは絶えず起こっていたのである。
 何故、彼らはそこまで「ようやく来仏してくれた大物バンド」として迎えられたのか? そこにはフランスが日本、アメリカに次ぐアニメ大国であったり、日本カルチャーブームがさらに根強くなっていることも起因している。実際にL’Arc〜en〜Cielを好きになったきっかけに、アニメ『GTO』と『鋼の錬金術師』を挙げるパリジャンは多く、ファッションや食事などの日本のカルチャーに興味のある人も多かった。開演前にhydeが「俺らだけがこの状況を作ったんじゃないと思う。いろいろなカルチャーや、そして先にこの地を訪れたいろいろなバンドがあっての、今日の状況だと思う。だから確かに想像以上に凄いことになっていたけど、割と淡々と受け止めることができている」と語ってくれたが、それが正直な気持ちであろう。
 しかし。それだけじゃない。大事なことは、前述のhydeの発言にもあるが、「何故L’Arc〜en〜Cielだけが、5000人以上のヨーロッパ人を、この日のパリのライヴへ向かわせたのか?」であり、「何故、その中の何百人もの人々が、何日も前から会場前に泊まり込んでいたのか?」であり、「何故、開演30分前からずっと、楽屋にまで轟音として届くような、歓声と拍手と足踏みが行われていたのか?」という部分にもある。それは彼ら4人のバンドとしてのスタイルと、音楽自体の中に理由のすべてがある。
 先ほど、「このパリの状況が日本に伝わりにくい」と記したのは、L’Arc〜en〜Cielが日本のマーケットを代表するロックバンドだからである。こういうスケールのバンドが海外で活動を行うと、必ず「本当に盛り上がったの?」、「日本人ばかりだったんじゃないの?」、「サバ読んでない?」という疑問が日本では生まれていた。今回のL’Arc〜en〜Cielもそういう疑問をぶつけられてもしょうがない。彼らの活動や楽曲は日本のマーケットにジャストに反応するものであり、それはつまり「日本向け」という引き出しに入れるべきものだと誰もが思っているからだ。洋楽的なエッセンスを持ったバンドが海外で成功しても疑問が起こらず、L’Arc〜en〜Cielのようなバンドに対して起こるのは、「日本向けの音楽が海外で通用するはずがない」というレッテルがべったり僕らに張り付いているからである。
 しかし。
 今回のL’Arc〜en〜Cielの巻き起こした熱狂はまさにリアルそのものであり、「日本向けの音楽」なんてチンケな範疇で音楽を作るアーティストはいないし、いたとしても成功はしないし、何よりも音楽はもっと感覚と驚きのスペクタクルがモノを言うアートなのだということを証明した。純粋な意味で日本のロックを、そしてL’Arc〜en〜Cielをクールだと目を真っ赤にして話すパリのファンはたくさんいたし、彼らはきかっけは何であれ、今はL’Arc〜en〜Cielの音楽を穴が開くほど聴き続け、その音楽と自らを一体化させているのだということがわかった。
 ブームを巻き込み、ブームを超えて、L’Arc〜en〜Cielは自らの音楽を盾にパリに攻め込み、そして多くの愛情を交し合ったのである。自分が2011年に求めることのひとつは、「今度はヨーロッパ・ツアーする彼らを観たい」ということである。2008年の春の時点で、そのツアーの勝算はかなり高いと言える状況がパリには確かにあったのだ。

 残すところ、ソウルと香港、そして念願の「凱旋帰国ライヴ」の東京と大阪である。実はパリでも台湾でも、日本の凱旋ツアーの演出などがhydeを中心にこと細かに練り直されていた。そう、海外ツアーと日本のツアーはまたステージ演出が全然違う、というかぶっちゃけ「さらにアグレッシヴ」なものになるのだ。リスナーとしても最後まで気が抜けない彼らのツアーは、まだまだ続いているのである。
 それだけの集大成的なるライヴを行い、夏のリリースを経てから、彼らはソロの季節を迎えるのだろう。そして2011年。結成から20年を迎えるこの年に、再び彼らはエポックメイクなライヴを敢行する予定でいる。そこまでの具体的な流れは今はまだ未定であるが、今、確かに言えることは、「ドームツアー後のL’Arc〜en〜Cielは、この1年間とは異なる緩やかな季節を迎える」ということである。