成人したみなさん、おめでたいです。一緒に酒を呑みましょう。
ようやく土曜に校了しました。年越しかけての制作というのは、何回やっても難しいです。今月のMUSICAは特別に19日発売なもので、校了日がいつもより遅くなって、余計に体が付いてこないっつーか。でも、無事に校了しました。今月号の詳しい内容はwww.musica-net.jpで。今回自分でかなりの取材をこなしたんだけど、とにかく貴重な会話をしたなあという印象が多くて、ひとりでも多くの人に読んで欲しいなあと強く思ってます。
とても久しぶりに会って仕事をした記事や、ずっとオファーしていて遂に実現した記事や、一つ一つの取材に思いやストーリーがあるものばかりです。メランコリックな音楽を集めた特集をずっとやりたかったんだけど、それもようやくできた。まだまだ頭の中にはやりたい特集がたくさん残っているんだけど、そういうのを一つ一つ実現させていくのが雑誌を作っていく上で一番楽しいことなんだよね。
昨日と一昨日はアーティストは違うが、武道館2DAYSだった。
初日はバースデー、二日目はKEN YOKOYAMAだ。
最高の2DAYS。こんな最高なライヴが武道館で二日続くのは、僕的には史上初である。
バースデーの初武道館はいつも通り始まったなあ。ほんといつも通り。そう言えばチバやキュウちゃんはいろいろな邦楽ロック史に残るステージを踏んできたけど、そのエポックメイクなライヴの殆んどが、いつも「いつも通り」始まっていた記憶がある。
ずっといつも通りだなあと思いながら観ていたんだけど、後半辺りからじとーっと手の中で汗が滲んでいるのに気付いた。いつもより自分が音楽に「対峙」している感じ。音が凄んできたんだと思う。恐いとか攻撃的とか、そういうんじゃない。もっと、真剣に体使って遊び合って、それが結果的に取っ組み合うことになっているような感じ。つまり、異常にマジに楽しかったし、自分を使ったなあーという感触が終演後に残った。
一つだけ強く感じたのは、このバンドは結成してすぐにライヴや作品を生み出し続けてきたバンドだけど、武道館ライヴを果たすのは「今だったんだなあ」ということである。カタマリとしての音、カタマリとしてのロック、カタマリとしてのグルーヴ、そのすべてを僕らががっしりと掴めるライヴが、今このとき、確かに鳴っていた。
バースデーはライヴバンドである。ステージとフロアの垣根を、独自のやり方で壊して楽しみ合うことが出来るバンドだけが得られる称号、それがライヴバンドである。ずっとそんなことを続けてきて、いろいろな小さなライヴハウスへ出向き、全国津々浦々細かく回り、世代やジャンルを超えたバンドと対バンし、そしていろいろなフェスに参戦した――その時間と経験がもたらした武道館ライヴだったと思う。そういう長い河や強いうねりが感じられるライヴだった。最高に楽しかったし、終演後の挨拶のときの4人の表情、あれは良かった。いつも以上に子供のような笑顔で笑っていて、本当に楽しんだんだなあというのが伝わってきた。
そして二日目。
KEN YOKOYAMA、横山君の初武道館は凄い列だったなあ。……ん、何が?
物販の列である。さすが、PIZZA OF DEATH !!
開演している時間にも長蛇の列が続いていた。今回のライヴはオープニング・アクトがあるから、始まってもまだ余裕だろうとワクワクしながら並んでいたのだと思う。
しかし。
ワクワクする場所は、明らかにそこじゃなかった。
オープニング・バンドはなんと「ブラフマン」だったのである。
あのオープニングのSEが流れた瞬間、多くの人は、そこにブラフマンが現れることを知った。そして動揺に近いざわめきが立ち込めていた。その中で彼らは淡々と姿を現し、いつものようにブラフマンらしい「過激なほどに純粋な生々しさが、ドラマになってしまう壮絶なライヴ」が始まった。
ブラフマンはフェス以外で大きなところでライヴをやらないバンドである。そのことを含め、武道館で彼らのライヴを観るのはそのこと自体が斬新だったし、何よりも「エアジャム世代」にとってあまりにも大きな感慨を抱くものになったことと思う。彼らが横山君のオープニングに立つ、それだけで大きな物語が綴られ、物語が動く。そのことがあったからこそ、オファーし、そして答えたことによって実現したものだろう。横山君もトシロウも、本当に誠実なアーティストである。
彼らのライヴが終わった後でバックステージをうろついたら、彼ら4人がロビーみたいなところに座り込んでいた。トシロウが満面の笑みで話しかけてくれた。19日発売のMUSICAの表紙巻頭取材のときには(当たり前だが)既に決まっていたことだが、(これも当たり前だが)ひっとことも言わなかったんだよね、彼は。そのことをつつくと、「でもわかるでしょう(笑)」と言われた。あぁ、そうだなあと思った。こういうこと、ちゃんと「読め」ないと駄目だなあ。
素晴らしい幕開けのライヴだった。
横山くんは、ステージに上がりながら自らをぐるっと取り囲んだ客(ステージの横後ろまで人がぎっちり入り、満面の笑みが跳ね回る光景は、壮観だった)に対して拍手をし、冬に砂場で遊ぶ子供のようにハイテンションに跳ね上がり続けた。本当に嬉しそうだし、嬉しかったんだろうし、嬉しくなりたかったんだろうなあというのが無邪気に伝わる、まるで親友の誕生パーティーに参加しているようなプレシャスな気持ちになった。
横山くんの音楽は、パンクロックである。パンクロックは場所を選ばない音楽で、だからこそ、彼はキャリアの中で小さなライヴハウスから球場まで、まさに同じライヴを行い、「この世界でもっとも無限に近い可能性」を一曲一曲で歌ってきた。
この日だってそうだ。
彼の笑顔はパンクロックがあったからで、彼のメッセージもパンクロックがあったからで、彼のメロディはハードコアからスラッシュメタルからモンキーズまでいろいろなものがあったからこそ生まれるものだが、それを彼自身が歌い鳴らすのはやっぱりパンクロックがあったからで。結果的に彼はいつもパンクロックの素晴らしさを通じて、「怒りに震えても、悲しみにくれても、どこかで楽しさを実感していこう」というメッセージを歌っている。横山くんの曲は「捨てたもんじゃねえ」というメッセージソングとして、世界最高峰のものだ。
だって本当に楽しいんだよ。そのライヴを観るまでの時間がたとえ楽しくなかったとしても、楽しくなる。これがどれだけ素敵なことなのか? この日のライヴで全部響かせていた。
最高のライヴを観た後、その足で映画『アース』を観た。僕は「白熊フェチ」だからである。
当然白熊ラヴな気持ちで観た。その観点からすると、最も哀しい映画だった。
でもポップ・コーンは美味しかった。
六本木ヒルズの映画館のポップコーンがとても美味しくて大好きだ。それは回転がいいから毎回出てくるのが香ばしいのと、「垂らしバター」がいい感じだからである。いつも「たっくさんたくさん、かけてください」という言葉を店員の女の子に投げて、バターをたっくさんかけてもらう。この日もそう。だから美味しかった。
……で、ダイエットどうなってるんだっけ、俺?………。
……明日から、旭川にバンプ・オブ・チキンを観に行くんだった。
旭川、ものすごく「メシが美味い」らしい…………嬉しいけど、とても複雑だ。