2005/07/24 (日)

地震は大丈夫だった? 恐れず慌てず、愛する人を気にする力を一握りだけでも持ち続けなきゃ、こんな世界と僕らははすぐにでも壊れちまう

 昨日はお墓に行ったり、友人の死を考える時があったり、そういう時だからなのか転寝をしていたら、けっこう素敵な夢―――見たこともない美味しそうな果実を頬ばってたんだ―――を見ながら自分のいびきの音を感じたりしていたのだが、急に周りがぐらついたので起きた。最初は誰かにいたずらされて起こされたのかと思ったが、横にあった絵が自分の顔のすぐ横に落ちていて、揺れたんだとわかった。短く強い地震だっただけに、自然というか何というか、もっと得体の知れない何かに激しく怒られた気がした。

 最近、あまり怒られなくなったんだよね。いい歳だし、フリーで仕事してるし。この歳で怒られたいなんて思わないし、そんな性癖もねえ。性癖は「激しい」、そんだけ。
 でも、誰も原稿直してくれとか言わないし、太ったのに「ブー」とか言わないし、そうすると逆にいろいろと心配になる。まるで、この前喰った「雛鮨」のような感じ。
 雛鮨、シャリの酢が凄い強いんだよね。あれは何なのだろうか?と考えたら、「もしかしてネタが新鮮じゃないから酢を強くして味をごまかしたり、ネタが悪くなるのを防いでいるんじゃないか?」という邪推が思い浮かんだ。でも「焼きウニ」の軍艦が美味いんだよ。甘いんだよね。―――いやいや、そういう話じゃなかった。
 酢が強いので。便所行くついでに店の人に「シャリの酢と冷房が強いですよね、ここは」と言ったら、冷房は下げてくれたが、酢は「昔の鮨のような味わいを目指しているので、最近の店と比べると強く感じるんです」と言われた。
 そっかあと思い、「甘いネタと酢の強いシャリは合いますけど、でも青魚とか白身とかではちょっと酢が鼻にくるなあ」と話したら、「ありがとうございます。当店でそうやってきめ細かいご指摘もらうことはなかなかなかったので、ありがたく思います」と言ってそのままお水を1杯くれた。…………このお水、何だったんだろう? もしかして、「店に文句いうほど酔っ払ってますから、お水でも飲んで落ち着いてください」ってメッセージだったのだろうか? それともこれ以上文句言ったら、水ひっかけるぞと用意していた水だったんだろうか?

  ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

 先週末から、岡村靖幸のことで何か書いてくれという、大量のメールを頂いてます。
 書くことはないです。
 僕は悔しい。ただひたすら悔しい。それだけです。
 何をやってるんだいう気持ちだけです。
 惨敗感を味わってます。その理由は自分でもわかりません。
 彼の新しい音楽がまた鳴り止んでしまったことに対してかもしれません。
 覚せい剤がどうとか、いろいろな要素が含まれてはいると思いますが、はっきり言って、今の彼に抱いている気持ちはドラッグが何とかそういうものじゃないです。僕は自分こそが岡村靖幸というスターを一番待望し、彼の音楽の豪快さとディープさを一番愛してると思ってます。つまり、僕は彼の一番のファンだと思っています。同じこと考えている人はたくさんいると思うんです。僕もその中の一人です。
表舞台にようやく出てきた、そしてこれからギアを上げていこうという時に、こんな形で再びいなくなる。そんな彼の表現者としての無責任さが悔しいのです。音楽やらせたら凄いのに、自分で音楽やる術を封じる、そんな愚行が悔しくて仕方がないのです。

 僕はいろいろな人のように、「岡村ちゃんが戻ってくるのを待ってます」とは言えないし言いたくない。彼のファンとして「裏切られた。悔しいよ」としか、今は言えない。戻ってくるとかこないとか、そういうことじゃない。音楽は「鳴るべき」ものなんです。素晴らしい音楽が鳴ることを止めちゃいけないんだよ。今回、それを止めたは、残念ながら本人だと僕は思う。

 罪は罪、音楽は音楽。そんな考え方だって出来るし、僕はアシッド・ハウスと80年代ニュー・ウェイヴにいろいろなものを形成してもらった人間なので、ドラッグと音楽の密接な結びつきや効果を知っているつもりだ。だけど、そういうことじゃないんだよ。
 岡村靖幸は、彼の孤独を他で紛らわさずに、音楽を作ることでその孤独と徹底的に向かい合い続けて欲しかった。そうすれば、彼はいつまでもスターであり、彼の音楽はディープでありながらポップであり、そして彼は多くの者から「岡村靖幸」という偶像として愛され続けた筈だからだ。
 偶像として愛されても、自分の孤独は鳴り止まない――――ずっと岡村は言っていた。でも今、きっと彼は後悔してるよ。だってあなたが岡村靖幸でいることは、本当に素敵なことだったんだ。勿論、あなたにとっても―――。
 岡村は自分の音楽の凄さと、いや、音楽自体の素晴らしさを知っている、やりきれないほど切実な表現人間だからだ。だからきっと、今、後悔している。
 そんな後悔するような状態に自らを陥れた彼が、悔しくて仕方がない。怒りを通り越して、怒りに包帯を何回も巻いて、それでも血がドバドバ出てくる、そんな悔しさだよ。撒き散らしたくないから包むけど、でも、滲んで滲んで仕方ないよ。

 僕は再び待ってるとは言えない。だって今までずっと待ったから。待ってても出て来なかったから、ドアまで開いたのに、また勝手に閉じた人に待ってるなんて言えない。でも、もっともっと「聴きたい」よ。
 暴言を覚悟で言うが、スターは捕まっちゃいけないんだよ。スターは体制や人の傘下に降りていく姿なんて見せちゃいけないんだよ。弱音ならなんぼでも吐きゃいいけど、スーパースターは弱くても寂しくても情けなくても、捕まっちゃいけないし、そんな姿を僕らに見せちゃいけない。
 わかってますか? スーパースターなんてアホらしく素敵に輝いてる言葉が似合う人がどれだけいるのか? 全然いないんだよ。
岡村さん、僕は悔しいです。

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 日曜は日産スタジアムに「ゆず」を観にいった。4時間15分やるし、ミュージカルあったし、花火は上がるし、オリンピック銀メダルの山本さんのアーチェリー観れたし、いいアクションといい声があるし、ドラマーは佐野さん(AIRのドラマー)でグルーヴがトグロを巻くし、何より名曲が骨を剥き出しにしてスタジアムに届く。良かった。
 やっぱ「おかしい」んだよね、あの2人は。だって、構成むちゃくちゃ詰めた展開があるかと思えば、もう音を鳴らしちゃいけないっていう会場との約束の時間を過ぎているのに、本気でヤバいのに、それがわかっているのに歌っちゃう。どうしてもステージから降りたくないし、歌うのやめられないんだもん。
 すげえ、動物的な音楽家だと思う。
 僕の斜め前には伝説的なカメラマンの中平卓馬さんがいらっしゃった(知らない方は検索等して、どれだけ魅力的な芸術家なのかを是非確認してください)。
 ゆずを観ながら、何度も嬉しそうにピース・マーク作ったり、首を振ったり、周りを見渡して「面白いね、楽しいね」という表情で笑っていた。
 芸術の中に潜む、赤ちゃんみたいな天使だった。握手させてもらった手の肉球も、赤ちゃんみたいなんだよ。シャッター押す時も、「むぎゅ」って感じでシャッター押してるんだろうね。そういう写真だもん。
 表現する人ととしても、歳を重ねていくこととしても、楽しむ名人としても、全ての面で、いや、一つでもこの方を超えたいなあと思った。
 

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TODAY'S SONG

The Beatles/“across the universe”