Last Update : 2009/12/02 17:07:25
  2005/02  
  1235
78101112
13151718
212223
2728     
2005/02/26 (土)

煌きの中で

 昨日の夕方から、ゲッティング・ベターでのDJを挟んで今日の午前中まで、ずっとホームページのデータの復帰と、新しいサーバーの調整をはかった。完全に復旧した時には、開設してから初めて「このホームページって、結構いろんなものが収まってんだなあ」と我ながら驚いたりした。「せっかく来たのに何か変だぞ!?」と思ったであろう、昨日の午後から夜中まで訪れてくれた人達にはご迷惑をかけました。
 ちょっといろいろ無理がたたってきたもので、容量の大きいサーバーに換えました。これからは写真なども積極的にアップしていくよう楽しんでみます。今後ともよろしくです。

  ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

 スーパーカーのラスト・ライヴに行って来た。

 会場は東京一のビッグ・クラブ、STUDIO COAST。土曜なので夜中はクラブ営業がある。だからスーパーカーのライヴは17時開演予定となった。まだ陽が高い間に続々とクラブに人が引き込まれて行くのは、深夜に頻繁に踊りに行く身としては奇妙な光景だったが、何よりとても多くの人達が「チケットを譲ってください」というボードを持って立ち尽くしていたのが印象的だった。ダフ屋もいたが、どうやらチケットを持ってないようで、執拗に「売ってくれ、高く買うから」と話しかけて来た。本当にたくさんの人達がチケットを求めて会場前に集まっていた。その人波をかいくぐって会場にたどり着いた時、この日のこの場所がマボロシのようなものに思えた。

 とまさにここまで書いたところでホームページにメールが届いた。どうやら17時30分頃――――つまり開演直後に当日券が売り出されたらしい。あのチケットを求める人波のオーラの強さを思うに、本当に良かったなあと思う。

 受付でご挨拶をすると1枚のカードが渡された。メンバー全員の手書きのサインが書かれているセット・リストだった。たまらないなあ、この挨拶は。

 17時20分頃だろうか、会場が暗くなりステージのバックに「THANK YOU SUPERCAR」という書き文字のようなスペルがレーザー光線で描かれた。そしてメンバーが現れた。終わりに向けられたライヴが始まった。
 解散ライヴというのはとてもセンチメンタルなものだが、解散の後の自分の明日を見詰めているメンバーがいる場合も多いし、「先」がない気持ちの中でバンドが演奏するのはとても難しい。勿論、メンバーはその独特な雰囲気と最後という気持ちの中で特別なライヴを送るのだが、その中でさえもバンドが素晴らしいライヴを行うのはとても難しい。
 僕はロック・バンドの解散ライヴはオーディエンスが空気を決めるものだと思っている。今日もオーディエンスが素晴らし過ぎるほど素晴らしかった。スーパーカーがここまで描いて来た煌めきを、オーディエンス達が眩しいほどフロアから放っていた。1曲1曲、イントロが鳴った時点で反応する――――“FAIRWAY”では高く高く右手を掲げ、“RECREATION”では横に揺れて大きな波を描き、“YUMEGIWA LAST BOY”ではフロアが一頭の大きなクジラのようにくねっていた。こういうリスナーを生んで来た事自体が、スーパーカーの財産だと感じた。とても温かく昂揚した熱が、フロアからステージに寄せられていた。
 ステージには宇川直宏のビジョンはなく、緑のみならず青や赤のレーザー光線とSTUDIO COAST名物のバカでかいミラーボールが織り成す光のシャワーが演出を担っていた。“My Way”でサイダーのようにジュワーっと無重力に歪んだ淳治くんのギターに、重力はあるのに徹底的にカシャカシャ乾いたナカコーのギターが絡んだ。「夏」のような淳治のギターと「冬」のようなナカコーのギターの絡む瞬間、スパークするってこういうことなんだなという気持ちにさせられる。この青臭い摩擦のような絡み合いも最後だと思うと、どうか鳴り止まないでくれと祈りながら聴き入ってしまう。
 まさにベストヒット集な選曲も良かったが、何より曲順が切なくて堪らなかった。勿論、ここまで情緒的な曲順でスーパーカーがライヴをやるのは初めてだったと思う。特に、最後の“STORY WRITER”から“Karma”というスーパーカーのロマンと実験が一番美しく合わさった楽曲を経て“TRIP SKY”へ辿り着いた時、壮大な終わりが鳴り響いた感じがしたのは決して僕だけじゃなかったと思う。この『スリーアウトチェンジ』のオーラスの曲の最後のセンテンスは、「描いた夢のまま静かに浮かんで また消えていくのさ すさんだ世界の向こうへと 浮かんでまた消えていくのさ」だ。この言葉を残して、スーパーカーは消えていった。
さっきも書いたが、解散ライヴなものでそんなに素晴らしい化学反応が鳴ったライヴではなかった。僕はアルバム『ANSWER』のツアーが最高にカッコ良くて大好きだった。それは僕には全くと言っていいほどバンド臭がしなくて乾ききった植物のように聴こえた『ANSWER』というアルバムを引っさげたツアーで、彼らは全く新しいバンド・ロックを鳴らす「始まり」を響かせたからだった。あのAORのような楽曲にアナ―キーなグルーヴと煌く青春性が降り注ぐ、スーパーカーがスーパーカーとして疾駆する最高のライヴを披露したからだ。さすがだなあと。やはりこのバンドはとことんバンドなんだなあと。バンドとして煌いているなあと、心が躍るライヴだった。

 以前、たしかあれは『HIGH VISION』の頃だったと思う。僕は彼らのライヴのゲネプロ・スタジオに1日一緒にいたことがある。とても奇妙な1日だったことを覚えている。
 何しろ練習しないのだ。バンドで音を合わせないのだ。その日は偶然、くるりが一つ下のフロアで練習していて、少しばかりそこにも遊びに行ったのだが、そこはまさに「戦場」だった。ひたすらセッションセッション。まだ3人だった頃のくるりは岸田の鼓舞するような、罵るような激しいテンションの中で音が途切れることなくグルーヴも高みに登り詰めていったが、片やスーパーカーのスタジオは「ぷぉ〜」とか「ぴゅっっぴゅん」とか「しゃらーん」とか、ドラムンベースのリズムとか「ズジャラララ〜ン!」というギターとかが時折鳴っては途絶えるだけだった。何なんだこりゃ?と最初は戸惑って何処にいたらいいのかわからなかったが。わからない僕に時折淳治くんが「居心地悪いでしょ?」と気を遣いながら話し掛けてくれるが。というより、これ、スタジオ代、もったいないんじゃないか? 僕に焼肉奢ったほうがいいんじゃないか? と余計なお世話を考えたが。でもその雰囲気のままスタジオは約5時間の時が過ぎた。
 5時間過ぎた頃、その「ぴゅ〜ん」とか「ズジャーン」とか「ズドン」とかが絡み合った。気分で弾いていたり、音やシステムを確かめるようにシンセとサンプリングを鳴らしていたナカコーの音が、“YUMEGIWA LAST BOY”のイントロを鳴らした。するとみんなの音が重なり、結果的に「随分とイントロの長い」ユメギワが始まったのだった。そしてその1曲が終わるとまた「ぷぉーん」が始まり、時折何かのきっかけでまた曲が始まった。なんか渡り鳥みたいだった。基本的にバラバラで生きているのだが、どいつかの微かなサインでみんなが群れて、またバラバラになる。僕はその時のスーパーカーにとてもバンドを感じた。あれでいいのだという確信。誰かのサインを必ずキャッチするメンバー。何回かしか合わせないセッションで、仕上げていく関係。そのすべてがちょっとばかし眩しかった。ロック・バンドのマジックといい空気をたんまり吸わせてもらった。
 
 多くのバンドが解散したが、個人的にスーパーカーの解散はこの5年間の中で最も残念で切なくて受け入れられないこととなった。燃え尽きるにはまだ鳴らしていないものがある気がするし、ミッシェル・ガン・エレファントやザ・イエロー・モンキーへのように「ロックンロールと名曲をありがとう、楽しかった」と笑顔で言えないのだ。
 誤解を恐れずに書けば、僕はスーパーカーの「音楽」以上にスーパーカーという「バンド」が好きだったからだと思う。
 好きな曲はたくさんあるし、“cream soda”と“WARNING BELL”の間にある変わらない何かもわかっているつもりだが、でも何より僕はこの4人がバンドとして活動して音を鳴らしていることがとても素敵なことだと思っていた。どんなポップな曲でも、どんな実験的な曲でも、スーパーカーは4人が交じり合って鳴らして歌う「煌き」がその音楽を形成していたからだ。そんなのロック・バンドとして当たり前だろと思うかもしれないが、それはイメージや理想としての当たり前であって、実際にはそんな素敵な奇跡の結晶のようなバンドは数えるほどしかいないのだ。
 ロック・バンドはいい曲を作ることだけが表現や仕事ではないと僕は思っている。ロック・バンドは憧れだ。恋焦がれるようなカッコ良さのカタマリだ。スーパーカーはそんなロック・バンドの代表だった。どうしても煌いてしまうロック、青春が終わらないバンドシップ。音楽が難解になっても、考え方が変化しても、スーパーカーは僕にはバンドの理想像だったし、その煌きが彼らのすべてをポップに輝かせていた。
 スーパーカーは何も終わっちゃいなかったし、絶対に煮詰まってはいなかったと思う。『ANSWER』というアルバムはロック・バンドとしての彼らの新しい挑戦であったと思うし、その進化はツアーから確実に始まっていた。『ANSWER』というアルバムから僕はバンドを感じなかったが、そのツアーは『ANSWER』を従えたバンドが、「これから」を見せていた。相変わらず素敵なバンドだったし、ロック・バンドとしての煌きは全く失せることがなかった。
 しかし終わってしまった。彼らが僕らに届けてくれていたものは何一つ終わりがなかったし、バンドとしての煌きも失せることも変わることもなかった。なのにバンドが終わってしまう。だからスーパーカーの解散はやりきれない。

 ライヴはアンコールもMCも一切なく終わった。先ほど書いたように何らかの覚醒があったわけではないが、名曲と4人という僕らにとっての宝物だけがフロアに降り注がれるいいライヴだった。勿論、アンコールを求める拍手は鳴り止まなかった。5分ほどした頃だろうか、フロアの後ろから「もう一曲だけやてくれっ!」という男性の叫びが響いた。ちょっと力を失いかけた拍手がもう一度大喝采に変わった。しかしスーパーカーは出てこなかった。
 多分、みんなわかっていたと思う。彼らは出てこないだろうと。その一声だけで出てくるバンドじゃない、それも自分達がこのバンドを好きな理由の一つだった筈だと。だからステージの後ろや会場の外に掲示された「THANK YOU SUPERCAR」というぶっきらぼうなほどシンプルなメッセージから、すべてが読み取れるのだと。

 何曲やっても多くを語っても発せられない煌きがある。何も語らず、答えを出さずに鳴らされる曲であっても発する煌きがある。スーパーカーは煌くロック・バンドだった。煌きが消えないだけに、とても解散が残念で切ないロック・バンドだった。
 


2005/02/25 (金)

26日、午後。完全復旧しました。もうバッチリっす。サーバー大きくなったんで、もっといろいろしてみようと思います。
これからもよろしくお願いします。
ただ、旧サーバーもしばらくは生かしていますので、稀に旧サーバーの方に飛び込んでしまう場合があるそうです。そうすると新サーバーでアップしたものが見れない場合があります。約2週間ほどで整理されますので、ご了承ください。

大変申し訳ありません。

いつも訪れていただき、ありがとうございます。
ご存知かと思いますが、このホームページは現在、大変混乱しています。
具体的には、DIARY、WORKS、REVIEWの中の一部のテキストや要素が、抜け落ちております(22時45分現在、WORKS以外は殆ど修復しましたが、WORKSだけは全面的にデータが抜け落ちた状態になっています。よって、2月20日に開催したHOLIDAYI NN BLACKに関しての情報も丸々なくなってしまっているのです。ご了承ください)。

おかげさまで多くの皆さんに日々訪れていただき、そしていろいろなことが充実して来たので既存のサーバーではこのホームページの維持が出来なくなりつつありました。
よって新しい容量の大きいサーバーに昨日から変更を試みているのですが、その過程の中でこのような混乱やトラブルが起こっています。

早急に完全復帰させるべく動いておりますが、もう少し時間がかかってしまう恐れもあります。
せっかく訪れていただいたのに、このような不完全な状態であることが残念でたまりません。
申し訳ないです。
「1日限りの牛丼復活」の日に突然車が突っ込んできて、店の半分が大破しながらも営業を続けた大阪の吉野家のように、しばらくはこの形でホームページを続けていくことになるかもしれませんが(何しろこれから週末に入ってしまうもので)、これからもよろしくお願いします。

20時30分 鹿野 淳


2005/02/24 (木)

ちょっと教えてください。

 今日はちょっとみんなに聞きたいことがあります。ここに法律などに強い人が来ていないかなあ。

 今日、目の前で交通事故が起きました。そのきっかけが「救急車」だったのです。

 わかりやすく語るために方角で話していきます。大きな交差点で、僕は南側にいました。勿論、車でです。その対向の北側から、救急車のサイレンの音がしてきました。僕とその救急車側の、つまり南北に流れる道路は信号が赤だったので、車はみんな停まっていました。救急車はサイレンを鳴らしながら、次々に北側の車を抜かして交差点の先頭に辿り着きました。勿論、救急車は信号が赤でしたが、その交差点を渡ろうとしました。しかし、その北側の道の先頭にはとても大きなトラックが大分前にはみ出して停まっていたので、東側から走ってくる車には救急車の姿がなかなか見えにくいようでした。だからいろいろな車が救急車に気がつかずにビュンビュン走っていました。とても危ない状態でした。しかし救急車は容赦なくサイレンを鳴らし、そして交差点を北側から西側に突っきって曲がろうとしました。
 その時です。東側から突っ込んできた車が急ブレーキを踏んで、何とかギリギリで停まりました。しかし。その直後、同じように急ブレーキを踏んだトラックがギリギリ停まった車に後ろから突っ込んでいきました。そしてガッシャ〜ンと衝突しました。結構、大きな衝突でした。
 その時、救急車はその衝突事故を目撃していました。助手席にいた救急員がぶつかった車を見ていたのを、僕は見ていました。でも救急車はそのまま西側に走り去ってしまったのです。ぶつかり合った車同士は交差点の西側に停まりました。そこで北と南の、つまり僕や救急車が走ってきた側の信号が青になりました。僕は交差点を渡ると北側で車を止め、西側のぶつかった車同士が停めている所に向かいました。
 二人はお互いに俯きながら黙っていました。周りは完全に「犬のウンコを踏んじゃった大人」を見る目つきで二人を遠巻きに見ています。実際の二人も、お互いの車を見つめながら、ウンコ踏んじゃった顔してるんです。本当に誰もがやりきれない空気が流れています。そうです、ぶつけられた車も自分が急ブレーキを踏んで停まった人なもので、ぶつけた人の理由がわかっているのです。ぶつけたトラックの急ブレーキの音は凄まじい金きり音で(要するにブレーキ・オイルが足りなかったってことなんだけど)、全ての人がその音を聞いていました。ぶつけられた車と同じことをしていたのです。しかし、片方はぶつけられた側に回り、片方はぶつけた側に回りました。だからどうにも気まずいのです。ぶつけられた方が言いました。―――「救急車は行っちゃったんですよね………」。

 これはどーなんだろ。救急車は言ってみれば、自分は関係ない、早く患者を運ばねば(もしくは患者の所に駆けつけなくては)とばかりに走り去ってしまいました。普通に考えれば、救急車が信号とは無関係に交差点を渡らねば、起こらなかった事故です。そして僕が分析するには、その北側の交差点の先頭のトラックが「きも」だったと思うのです。あのトラックが救急車を見えなくしていたのです。トラックはかなり交差点の停止線をはみ出して停まっていました。だから見えなかったのです。しかし。そのトラックも南側に走り去ってしまっています。そのはみ出しトラックの運転手がどう考えたのか、「うへー、やっちゃってるよ、あの車」なのか、「俺がはみ出してたから見えなかったんだろうなあ、気まずいなあ」なのか、………彼の気持ちは我々にとっては、最早ゴッド・オンリー・ノウズです。

 誰か教えてください。
 やはりこれはぶつけた車が全面的な責任を引き受けるのですか? それとも、ぶつけられた車も自己の急ブレーキを踏まえて、ある程度のパーセンテージの責任を被るのですか? じゃあ、救急車はどうなんですか? サイレンも鳴らしていたし、サイレン灯も光らせていました。だからといって、他の車が急ブレーキで止まらねばならなかったにも拘わらず、権利を主張して交差点を渡った救急車に責任はまるっきりないのですか? あったとすれば、国が責任を取って金を払うのですか? はみ出していた車がもし判明したら、その車の責任はどうなんですか? 停止線をはみ出していた違反はあるとしても、交通事故の責任まで取らされるなんてことあるんですか? 救急車が来なかったら、はみ出しトラックが事故の原因を作ることなどなかったのですから。お。待てよ。まさか、まさか、救急車に何らかの責任が発生するなら、その救急車を呼び出した救急患者側まで責任が及んだりするんですか? 「えー、あなたの発注した救急車が交通事故を引き起こす要因となりました。あなたが救急と判断し我々を呼ばなかったら、こんなこと起こらなかったのです。なもので、この事故の原点はあなたが救急車を呼んだことだと判断します」なんてさ、言われたら凄い気持ちになるんだろうな。

 幸運なことにぶつけられた車も、ぶつけた車も、どちらの運転手も怪我の気配はありませんでした。後日、打ち身などが出る可能性が交通事故にはあるのですが、まあそれぐらいのことで終わると思います。僕は横から見ていたのでよくわかったのですが、かなりのスピードと衝撃でぶつかりました。だから、ぶつかったトラックがガンッとぶつかった後、後ろに跳ね返っていったんです。これが人間には良かったのでしょう。跳ね返らずにぶつかった力が中に中に入っていったら、その衝撃が人間に押し寄せますが、車と車が跳ね返っていったので、衝撃が外に分散されたんです。F1とかの車もぶつかると大袈裟に壊れてシャーシが粉々になります。あれは衝撃が運転席に行く前にシャーシに吸わせて、そのままシャーシを粉々にすれば力が逃げていくだろうということなんです。今回の衝突は、それに近い原理が働きました。良かった。でも彼らが体を大きく痛めたらどうなっていたのでしょうか? 本当に救急車は走り去って良かったのでしょうか? そりゃ救急状態だったのはわかります。ただ、人命救助をせずとも、状況判断をする必要は本当になかったのでしょうか? 彼らは事故が起こったことを知っているのです。その事故現場は彼らにとって本当の「仕事場」じゃなかったのですか? しかも自分達の通行によって起こった、自らが起因している「仕事場」なのです。

 車はお互いにかなり大破しました。修理はかなりの額にのぼるでしょう。どうすんだろ。

 やがて警察が来ました。救急車が呼んだのでないらしく、「何があったんだ?」から始まりました。そして…………やはり警官も俯いてしまいました。彼らもこのケースに対する答えを持っていないようでした。僕はそこで約束の時間が迫ってしまったので、離れました。遠くから見ると、運転手同士はかなり近づいて横並びでいました。彼らも僕と同じようなことを考えてるんじゃないかなと思いました。ぶつけられた人は、ぶつけた人に対するより、この状況の複雑な因数分解を解こうといろいろ考えているように見えました。

 どうなのでしょうか? 誰かわかんねーかな、このケースの責任の在り処。そりゃ、サイレンは鳴っていたわけだし、その音を聞き逃したのは良くないことでしょう。僕は南側にいたもので北側のはみ出しトラックのことが判別出来ましたが、注意深く前方判断すれば救急車は見えたかもしれません。なのですが、どうにも複雑だし、切ない事故だったです。自分だったら、いろいろ考えるし、いろいろなことのせいにするし、救急車を恨んでしまうとも思う。
 教えてください。

  ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

 北朝鮮のTVニュースの女性アナウンサーがよく出てくる。あの軍隊喋りの人だ。すげえ気持ち悪いし、悪しき国家主義の権化のようだ。
 一方で、この国の昼のニュースを観る。するととても無表情で、しかも昼時っぽい乾いた明るさをもって、「今日、何々の事件の被告、何々が、死刑判決を受けました」とアナウンスしている。何なんだ、これは。お前は何を伝えているのか、わかってんのか。
 この「空っぽな昼時感」は相当気持ちが悪いし、他の国の人が見たらこの国の無機質さや虚無を嫌というほど感じるんじゃないかと思う。深刻ぶる必要は無いし、怒りに震える必要も無い。けど、その死刑をメディアとして公的に伝えるという強さというか、覚悟が全く―――本当に全く感じられないのだ。人の生き死にを伝えるための最低限の視線の強さすらないのだ。昼のニュースのアナウンサーを見ていると、この国は既に充分、バトル・ロワイヤル状態だと感じる。とても恐い。


a-News+ 2.32


-Copyright (C) Shikano Atsushi 2004 All Rights Reserved.-